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第4回 カオリ・ナラ・ターナーさん 「すごいショックのときって、ラッキーの始まりなのよ
昨年の冬からしばらくのあいだニューヨークという街に滞在しています。「郷に入れば郷に従え」で、必要最低限のもの以外、日本からはなにも持っていきませんでした。梅干、お米などの日本食も、書籍もCDも。心配した周囲の人たちの好意は、ありがたく、そのお気持ちだけをいただくことにしました。
そして数ヶ月。べつだん日本のものが恋しくなったというわけではないけれど、それでも必要に迫られて、日本の大型書籍店を覗くことが何度かありました。そこで、一角にうず高く積み上げられたエッセイ集を発見。表紙は、突き抜けるような笑顔が印象的な女性のポートレートでした。「大人気『アリー・myラブ』のメイクアップ・アーティスト!」という大きな張り紙にも目を奪われました。それは夢中になって見ていたドラマだったからでもあり、それ以上にエネルギーに満ちた表情が目の奥に焼きついたから。ですが、定価の3倍近くもするあまりの高価さに、プー太郎の私は残念ながらその時は購入できませんでした。
それが今回その著者カオリ・ターナーさんにお話をうかがえる機会にめぐまれ…。あらためて拝読したところ、その人生の濃密なことといったら! あのあたたかな笑顔の源は、ターナーさんの生き方に隠されているのかもしれない。と、興味津々、待ち合わせのレストランに向かった進藤なのでした。
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【1回】 | スポンサーがいないとアメリカに行けない? |
【2回】 | トイレに隠れてダンスの練習 |
【3回】 | 結婚なんてしてみないとわからない |
【4回】 | 言葉のハンディは人を孤独にさせる |
【5回】 | 落ち込むヒマなんかない |
【6回】 | 70歳の誕生パーティーは昔の男大集合!? |
【7回】 | 人間だから100%なんてない |
【8回】 | 自分を押し通すほうがビッグになる? |
【9回】 | 目の前に与えられたものを一生懸命やること |
【10回】 | もっともっとステキな70になってやるぞ! |
【11回】 | 冬に表に出たら風邪を引く |
【12回】 | チャージですよ! チャージ! |
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カオリ・ナラ・ターナー
メイクアップ・アーティスト
かおり・なら・たーなー
1933年東京生まれ。幼少時から両親の趣味であった日本舞踊とタップダンスを身に付けるために大金をつぎ込まれる。終戦直後から、進駐軍向けの慰問ショーの一員として活躍。その後、日本のトップ・ダンサーとして活躍、1965年、ダンサーとして出演のため訪れた香港で、映画『砲艦サンパブロ』撮影中のメイクアップ・アーティスト、ビル・ターナー氏と結婚。仲介人はスティーブ・マックイーン。舞台で膝を傷めてダンサー引退後、夫からメイク技術を習得し、ハリウッドでの活動を開始。1978年、日本人として初のメイクアップ・アーティスト・ユニオンの正式会員となり、『フラッシュダンス』(1983年)のボディメイクで一躍注目を集める。以降、『アメリカン・ビューティー』(1999年)、人気テレビ番組『アリー・myラブ』などで活躍。名だたるハリウッドのスターから「メイクはカオリ」と指名を受けるトップ・アーティスト。
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