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銭谷美幸さん
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均等法以前に入社
- 佐々木
ところで銭谷さんの学歴を改めて拝見させていただくと、初の女性役員というだけでなく、「こんな完璧な理想はない」と思ってしまいます。大学を出てから、総合職で総合研究所。そして出産して、育児のために専業主婦を3年。その後ベンチャーに就職し、役員になり、そして邦銀初の役員、でしょう?
- 銭谷
実は違うんです。そもそも総合職で入社していません。わたしが入った時は、男女雇用機会均等法の前なのですよ。わたしは1962年生まれなのです。
- 佐々木
1986年施行ですから、ぎりぎり前、ということですね。
- 銭谷
わたしが入った時には、野村総研では女性はみんな一般職採用でした。2年目に、均等法が施行され、総合職への転換制度はできたのですが。部長によって受けさせてくれるかどうかの差がありました。
先輩を見てみても、10年ぐらい先輩で、「あの人なら総合職、絶対大丈夫だよね」とみんな言っている人でさえ、受けさせて欲しいと頼んでも難しいという話を聞きました。
- 佐々木
確かにそういう時代でした。わたしも覚えてます。女性たちは、総合職へのテストを受けさせてくれる、くれないということが大きな課題でしたし、受けたのになぜか落ちた、などもよく耳にしました。
- 銭谷
そうですよね。まず受けさせてくれないというような時代でした。その他に転身した理由として中国ビジネス担当だったことも挙げられます。ある日突然法令が変わり外貨に兌換できない等さまざまなトラブルが勃発しました。当時の中国は20年前ですから、法律も未整備で、法治主義じゃなく人治主義でした。自分自身、中国大好きで、野村総研では日本企業を中国に誘致する仕事に関する業務に携わっていたので、すごくがっかりする経験をしました。
- 佐々木
そうですよね。私も大学では中国をやっていたので、記憶があります。法律がすぐ変わるので苦労される企業が多いことは聞きましたね。
- 銭谷
そこで、アメリカに行って英語のブラッシュアップをしようと決意しました。
- 佐々木
大学へ?
- 銭谷
いえ、語学留学プラス大学での科目履修の形です。1年経って、一応英語もブラッシュアップできたので帰国しました。
- 佐々木
野村総研を退職されるときには、留学準備ができていて、留学も行き先も決まっていたんですか。
- 銭谷
そんな感じです。それで帰国後、金融関係にまた勤めたいと思っていましたので新聞で再就職先を捜しました。日本の企業は募集していませんでした。今と違って日系の中途採用はほとんどなかったと思います。
- 佐々木
わたしはそれで起業しちゃったんですよ。
- 銭谷
すばらしいですね。
- 佐々木
いえいえ。もう使ってくれるところがないような気がしてましたからね。「途中で入れる企業なんてない」みたいな。外資の企業のことは全く知らなかったし(笑)。
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