ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第112回 渡邉 美樹さん

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渡邉 美樹さん
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父親からは、社長の格好よさ
- 佐々木
ちょっと戻りますけど、お母様が生きていらっしゃった頃、お父さんは社長で……。
- 渡邉
母親も社長だったの。
- 佐々木
お母さんも社長ですか?
- 渡邉
うん。父親が、まず映画のコマーシャル制作会社をやっていたわけ。横浜でも一番大きな映画のコマーシャル制作会社の社長をやってて、時代はテレビに移っていたのね。それで父はテレビのコマーシャル制作会社を作って、要は、ベンチャーだよね。で、映画のコマーシャル制作会社が余っちゃうでしょ? それで母親に任せたわけ。「お前が社長をやれ」って。
- 佐々木
それもまた斬新ですね。
- 渡邉
斬新。でも、それができる人だったからね、母親はね。
- 佐々木
両親が社長っていう生活の中では、生まれてから5年生までは、どういう教育っていうか、教えを?
- 渡邉
教育っていうのは、ほとんどなかったね。
- 佐々木
そうですか? というのは、結局、そういうすごいデプレッションから立ち直っていったり、キリスト教に熱心になったり、今のお仕事をされているって事は、やっぱり、人生の始めの10年で、いろいろと学んだり、生き方を見たりしたのかな、と思って。
- 渡邉
それは二つ。父親からは、社長の格好よさっていうの? とにかく格好よかったんだよ。
- 佐々木
そうですよね。横浜の映画会社の社長さんだから、格好いいでしょうね。
- 渡邉
格好いいんだよ、社長、父親がね。だから、特に、「格好いいな、親父は」と。社長っていうものに対する憧れは身についていたね。
- 佐々木
それは子どもの頃から、たとえばお父さんの会社に行ったりとか? お父さんは、そういう格好よさを見せる工夫をされていたんですか?
- 渡邉
やってた。たとえば、僕は本当に野球が好きだったから、「今度、野球が見たいな」って言うと、「分かったよ」って言って、小学校にハイヤーを手配してくれるわけですよ。で、僕はそれに乗って、後楽園球場まで、今の東京ドームだよね、連れていってくれて。
そいつをバックネット裏で見て、それを見終わって、ハイヤーが待っていて、ハイヤーに乗って、また今度は、父親は銀座にビルがあったから、「銀座のビルの本社まで」って言って、社長室へ連れて行かれてね。わりとパフォーマンスもあったんだろうね。「すごいだろ」っていうのがあったと思うね。
- 佐々木
「これが父さんの仕事だ。見ろ」みたいな所があったんですかね。だって、小学校は普通の公立の小学校でしたよね?
- 渡邉
父親の方針で、中学から私立に行かせるつもりだったの。小学校は、男は公立でいいよ、と。だから、姉は幼稚園からずっと私立でね。
- 佐々木
そうなんですか。でも、公立小学校の前に黒塗りが来ちゃうわけでね?
- 渡邉
そう、来ちゃう。ちょっと変だよね。小学校は公立に行かせるんだったら、それをしちゃいけないよね。ちぐはぐだよね。辻褄が合わないよね。
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