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今週のテーマ
会議番号:2149
熊野古道を訪れたこと、ありますか?
投票結果
12
88
102票
737票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2007年04月16日より
2007年04月20日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
丹下 一 俳優・演出
eowynさん、熊野の花の巌神社には今も出雲から使者が来ます。それがいつの時代からか誰にもわかりません。 ……
議長コメントを全文読む
2日目までに届いている投稿から...
学生時代に訪れましたが (yummin・千葉)
学生時代に訪れたことがあります。が、何の予備知識も持ち合わせていなかったので、特別な感じは受けませんでした。その後、世界文化遺産に指定され、”そんなにすごいところだったのね”と驚きました。子どもを持つ身にになり、昔話などを通して、熊野古道の存在を再認識しているところです。
行ってみたい場所です (abovo・北海道・パートナー有・42歳)
実家からなら日帰り旅行が可能な所で、「いつか行こう」と思いながら行けないまま結婚で離れてしまいました。日本の歴史と古からの自然が残された今では数少ない貴重な場所ですから大切にして欲しいです。河童の話、素敵ですね。そういう思いを残してらっしゃる地元の方々に敬意を表したいです。今住んでいる北海道は先住民を除けば殆どが移住者で、しがらみがない分歴史的な話について、例えばパートナー(道産子)と話していてもピンと来ないよう。日本も狭いようで広いです。
いつかは (eowyn・栃木・パートナー有・34歳)
熊野古道は怖いというイメージがあります。歴史があまりに古く、またその存在が、今どきの言葉で言うスピリチュアルとでもいうのでしょうか。なまじっか歩くと畏怖の念に囚われて身動きできないかもしれないなと。八雲(島根)同様、古代大和の時代から続くその歴史に直に触れるにはまだまだ未熟者。もう少し人としてしっかり立ててから、是非歩いてみたいです。
今年こそ行きたいです。 (miyupyom・千葉・パートナー有・27歳)
年に4、5回旅行(国内外問わず)に行きます。その際ポイントとなるのは世界遺産を訪れることです。3年ほど前から熊野には行きたいと思っているのですが、東京からちょっと行きにくいことやなかなか情報がないので、優先度がさがり後回しになってしまっていました。しかし、去年職場の先輩が熊野に行き、風景や神社の話を聞いて「行ってみたい度」がグンっとあがりました。今年こそ行きます! 行ったことある方、ぜひいろいろなお勧めポイントを教えてください。
いつか行ってみたい (ヒロミング・神奈川・パートナー有・49歳)
以前に本でパワースポットとして紹介されていたのを見て行ってみたい所の一つです。エレクトーンプレイヤーの鷹野雅史さんのオリジナル曲に「曼荼羅」〜”熊野古道”紀行という曲があり、それを聴いてからますます行きたくなりました。大自然の恩恵を受けに行くには少々の不便があった方が有り難味もあるし、便が良くて観光地化されているところより好きです。
一度は訪れたい場所です。 (youyouchan・千葉・パートナー無・30歳)
学生の頃日本中世史を学んでいました。熊野は修験道にとっては神聖な場所で、今でも修行なさっている方がいます。旅行のパンフレットも以前より多く見られるようになりましたが、私は気軽な観光ではなくしっかりと古道を踏みしめて歴史を感じる旅として訪れたいと思います。
3日目の円卓会議の議論は...
「誰でも受け入れる熊野」
eowynさん、熊野の花の巌神社には今も出雲から使者が来ます。それがいつの時代からか誰にもわかりません。
熊野市平のくらぼし地区は、昔、河童が現れて牛などをさらい人々を怖がらせました。300年ほど前のある日、捕えた河童と「村では二度ときゅうりを作らない」と約束して以来、現れなくなったといいます。
以来300年、村ではきゅうりの栽培はタブーでした。1980年に農協からきゅうりの栽培が持ちかけられ、何回にもわたる話し合いの末「清水の舞台から飛び降りるほどの決断」で栽培を始めたところ大成功。村に貴重な現金収入をもたらしました。
村人は「約束を破ったのに、時代をわきまえてお怒りなされなんだ」と大感謝。川から石を引き上げて河童の碑を建てました。(みえ熊野学研究会編「熊野の文学と伝承」を参照しています)
僕が大好きなこの実話は現代のもの。1880年でも1780年でもありません。熊野には、
自然に畏敬の念、感謝の念を忘れない
人々がいます。
もちろん、そうとばかりもいえません。山が海まで迫り複雑な海岸線で入江が多い熊野では、海沿いの行き来には舟が便利でした。なかなか新しい道ができず、熊野古道は戦後しばらくまで、大事な生活道路でした。下駄をはいて1時間以上歩き熊野市内まで青年団の宴会に出かけたそうです。
だから「熊野古道の石畳にコンクリートを流して平らにし、バイクで走れるようにしてほしい」という要望も。それもまた切実な願いであったのです。そしてそんな時には古道の歴史的な価値を認め「破壊」から体を張って守ってきた人たちが現れます。それが、この「場」の力のような気がしています。
江戸時代に熊野詣でが爆発的な人気を呼びます。それは、
熊野が老若男女、貴賎を問わず、すべての人を受け入れてきたから
で、これは今でも変わっていません。熊野の北にある大峰山が未だに女人禁制を解いていないのとは対照的です。
シンセサイザー奏者の矢吹紫帆さんが立ち上げた天女座のすぐ近くにある古道は、江戸時代に整備された道が鎌倉時代に整備された古い道へとつながります。敷石のすり減り方が違うんです。山奥までその石を人力で運んだ人たちの想いはどのようなものだったのでしょうね。
明日は、あまり知られていないスポットをいくつかご紹介したいと思います。
あなたは熊野でどんな体験をした/してみたいですか?
丹下 一
俳優・演出
「50のポートフォリオを持つ「丹下一」という生き方」
丹下さんとのwin-win対談
「講演者総合養成講座」
残席僅少。丹下さんの指導を受けるチャンス
「旅行はすべて代理店まかせ?」
自分の契約内容にきちっと目を通すこと
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