ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第83回 石橋 慎二さん

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石橋 慎二さん
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結局踏み切れなくて
- 石橋
結果としては僕の力不足だったのですが、上に向かって「踏み切れない理由を言ってくれ」とか「少なくとも僕を説得してください」と。「僕を説得してくれたら、皆を説得します」って訴えたのですが、当時の僕には理解できない理由を羅列されて。
すみません、長くなっちゃったんですけれども、「もう、だめだ」って。一時期真剣に僕の日本語解釈がおかしいのかって自問自答しましたよ。「改革」って改革のことだよなって、改善や改修じゃないよなって。今までのやり方がまずかったから改革しようってことになったはずなのに、上の言葉は「一部の修繕でいいよ」って言われているみたいで、かなり落ち込みました。真剣に飛躍できるグループに脱皮するんだって信じてましたから。逆にそこでかなり勉強させてもらったのは事実ですが、今思い出しても結果的に自分の非力さが悔しくて、また、非常に残念ですね。
- 佐々木
がっくりですね。
- 石橋
がっくりですよ。それに、国内外への事業進出や撤退の仕方もどうも腑に落ちなくて、特に長い期間僕は海外人事を担当してた関係上、海外で汗をかいて下さっていた出向社員や現地雇用の人達に気持ちが入り込んでいて、かと言って収支は常に注視していましたので利益は出ているのに何でっていうことが結構ありましたね。当然、グループ全体を見て判断を下す部署があるので、いっかいの人事マンで且つ未熟な僕では理解できないことだったのでしょうが。それで、反骨精神も働き、すごく経営やマネージメントに関しての勉強になりました。
- 佐々木
でも、本当に勉強になりましたね。サッカーのプロから、いきなり今の仕事についていたら……。
- 石橋
大変でしたね。だから僕は、全日空で育ててもらったのは事実なんです。その改革推進室の時に、ちょうど沖縄サミットがありましてね。で、グループでアメリカ合衆国を対応することが決まったんですよ。飛行機も、クリントン前大統領の移動も全日空、泊まりも全日空ホテル。で、そのプロジェクトメンバーに、僕、選ばれて、沖縄の万座ビーチホテルに、クリントン前大統領と彼の娘さんが泊まって。
そこには当然、ブレア首相も来れば、プーチン大統領も来て対談するんですけれども、本当に間近に、クリントンさんとブレアさんのそばに結構いられたんですね。だから、2人の会話もよく聞こえていました。言えない内容もありますが(笑)。そこで当然、国務省だとか、SPだとか、アメリカ大使館、日本の外務省や警視庁だとか、常にいろいろコミュニケーションをして進めていかなきゃいけなかったじゃないですか。
そういったものも、全日空グループにいたおかげでいろいろ経験できたし。元サッカー選手でした、なんて言ったって、そんなのさせてもらえないですよね。
- 佐々木
でも、だから元サッカー選手でしたっていうのは、そういう場所では、また、いいアピールポイントでしょう。
- 石橋
なるんですよ(笑)。
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