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ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第83回 石橋 慎二さん

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83
クーバー・コーチング・ジャパン代表
石橋 慎二さん

熱い指導に心打たれて

佐々木

小嶺監督って、どんな方だったんですか。

石橋

特にあの当時、九州の片田舎、長崎なんで、強いチームもそんなにないし、当然JFLのチームもないじゃないですか。そこで全国的に通用するようなチーム作りを進めたんですから、かなりやっぱり厳しくてね。

たぶんご自分の私生活を捨てられてましたね、監督は。365日、休みないんですよ。だから、卒業する日が、もう待ち遠しくて、待ち遠しくて。最終日に丸を付けてましたよ。授業が7時限まである日は嬉しくて、その逆に休日や夏休みが嫌で嫌だった。練習時間が長いんで。

日本中を監督運転のマイクロバスで遠征したんです。結構古いバスでよくエンジンが止まるんですよ。1日に3〜4試合はざらで、その帰路にエンストで止まると選手に後ろから押せとの指示。押してエンジンが動き出すと選手はそのままで出発、数キロ先に先生が待っているってのがよくありましたね(笑)陸上部より間違いなく走ってましたね。

佐々木

それは、意図された練習プログラムだったんじゃないか、という感じですね。それでも、高校卒業後も、サッカーの道を選ぼうと決心したんですね?

石橋

まず3年時のインターハイで優勝した帝京高校と準々決勝で3対2で負けたんです。それもオウンゴールで。その時の悔しさと、全国でもやれるっていう自信がついたのと、正月にやる高校選手権で3年連続PK戦負けて、「これだけ苦しい練習を乗り越えても上には上がいる、くやしい」って感じでしたね。それで当時大学では一番強いと言われていた法政大学を目指しました。

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