ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第81回 菅家ゆかりさん

81 |
菅家ゆかりさん
|
|
|
アナウンサーを辞める決断
- 佐々木
でも、そこを辞めてしまった。何年で辞められたんでしたっけ?
- 菅家
6年半で辞めました。
- 佐々木
どうして?
- 菅家
そのとき、長女を出産して復帰してすぐだったんですね。そのときに、夫が冗談半分に「海外に行ってみる気はある?」ってポロッと言ったんです。で、「そういう経験はめったにできないから、いいわよね」って言ってたら、それを「行く気がある」と夫は判断して、希望を出しちゃったらしいんですよ。そうしたら、ちょうど交代時期に当たって。
- 佐々木
ご主人はパイロットでしたよね?
- 菅家
はい。今も現役です。当時、北回り便は必ずアンカレジ経由をしていて、そこで乗員もスチュワーデスさん達も全員交代するっていうので、そこで交代要員として現地に滞在するっていう仕事があったんですね。
それで向こうに行くことになって。産後、産休が明けてすぐに復帰して、新しいレギュラーもつけていただいて、自分でも気持ちがすごくリフレッシュして「やるぞ」と思ったら決まっちゃったので、さすがに悩んだんですけど、でも、「たぶん、旅行で行く機会はあっても、生活する機会って、そうはないかもしれないし、子どもも小さいので育児休暇と思って行ってみてもいいかな」と思ったので、それでスパッと辞めました。
- 佐々木
もったいないですよね、休暇とか休業とか、なんか……。
- 菅家
あとで言われました。「休暇もできたんだよ」「2年間ぐらいだったら、2年間休職していけばよかったじゃないか」って。
- 佐々木
「それを先に言ってくれよ」っていう感じですね。
- 菅家
それを考える期間がとても短かったんですよ。4月に番組に復帰して、6月にそれが決まって、育児も慣れなくて、番組にもようやく復帰したのに、すべての新しいことが一気に押し寄せたので、休職なんてとても考えつかなくて。
- 佐々木
「もう、辞めなきゃ」っていう風にしか思わなかったってことなんですね?
- 菅家
「日本に残って続けるか、辞めるか、どっちかだな」っていう二者選択しかなくて、私のなかに。でも、わりと川の流れに乗っかるタイプなんですよね、自分のタイプとして。「川の流れで、『海外に行け』ってきたから、これは乗っかってみよう」という風に決断して、もう、そこで。
- 佐々木
アンカレジに2年住んだんですか?
- 菅家
2年行きました。本当に、まったく仕事から離れたんですけれども、全然違う環境に飛び込んだので、楽しくて。毎週アウトドアのキャンプに行く、サーモン釣りに行く、冬は厳寒のマイナス20〜30度の中で、歩くスキーをやったりアイスフィッシングをやったりという、日本でできないことをやっていたので、それはそれは、あっという間の2年間でした。
夫に「日本に帰国しなさい」って辞令が出ても、それが夏だったので、私は3カ月残ったんです。「夏のこのいい時期に、日本に帰ってなるものか」と、理由をつけて、私と子どもだけ3カ月、秋まで夏を楽しんだんです。
23/24
|
 |
|
|