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日本国際ボランティアセンター(JVC)南アフリカ現地代表
津山 直子さん
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南アで暮らす決断は、草の根運動への想いから
- 佐々木
ところで津山さんは、ビクターさんとは、どこでお会いになったんですか? 結婚までのいきさつも、伺っていいですか。
- 津山
ええ(笑)。私がANCの東京事務所に勤め始めたときというのは、まだ南アでは検閲が厳しくて、南アの写真を入手するのは難しかったんですね。で、彼は南アフリカ在住のプロの黒人カメラマンなので、そんななかで写真を撮り続けていました。
外から来る人たちが、自分たちを「アパルトヘイトで抑圧されたかわいそうな人たち」として写真を撮るのを見て、「そうじゃない。人間の尊厳が自分たちにもあるっていうことを写真に撮りたい」と思って、独学で写真を勉強して、「ニュー・ネイション」などで働くようになって。で、もう一方で、反アパルトヘイト運動家として、ソウェトで活動していたんです
- 佐々木
津山さんが、南アに行ったのはいつごろ?
- 津山
初めて南アに行けたのは1990年。ANCが合法化されたり、マンデラ氏が釈放されてからです。それまでは、私も南ア政府からは「要注意人物」と言われてたんですけど。
- 佐々木
そう、ブラックリストですよね。私も載ってたらしい。
- 津山
はい。ビザが出なかったんですけれども、初めて行かれて。で、そこでビクターが青年たちに写真を教えているアートセンターを訪問したりしたんです。で、そのあと1993年にビクターの写真展を日本全国30カ所でおこないました。そのときに実行委員会を作って、私もそのメンバーの1人で、ビクターは写真展期間中3カ月ほど日本に滞在しました。
- 佐々木
で、結婚されて。でも、それで南アに住むことになるのは、すごく大きな、決断ですよね?
- 津山
そうですね。私はANCに勤めていたときも、南アに行けるようになったら、草の根で、できればNGOで働きたいと思っていたんです。ちょうどそういったなかで、1990年に私が初めて南アにいけるようになって。翌91年には今、私が活動している日本国際ボランティアセンターが、南アで活動するための準備を始めて、92年に日本のNGOとして初めて南アフリカに事務所を構えて活動を始めたんですね。
そこで私もANCからJVCに移って、最初は東京事務所で、そのあと現地事務所で代表をすることになって、94年から南アで暮らすようになりました。ちょうどそれと結婚するときが重なったっていたこともありましたし、できれば南アフリカの草の根での活動を、自分の生きる道の中でもずっと続けて行きたいと思っていたので。
- 佐々木
今は、南アフリカでどんなお仕事を?
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