ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第55回 山川 隆さん

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山川 隆さん
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ニューヨークで、ネットビジネスを調査
- 佐々木
そこで念願の海外。コロンビア大学が終わってからは?
- 山川
コロンビアの研究プロジェクトが終わって、日本に帰ってくるっていう話になったとき、これはちょうど、1984年の5月ごろだったんですけれど、私の企画部時代のボスの利根川さんという役員が担当替えで、情報通信プロジェクトというのをやることになったんです。それで彼がですね、お前手伝え、と言ってきた。
1985年4月1日が日本の通信市場自由化ですから、それで日本の通信市場が自由化するとどういうビジネスが伸びるのか、先に自由化しているアメリカで調べて来い、と言われましてね。
手元で日常業務に投入しないで、すっぱりと諦めて情報収集に使ったというのは、私は今でも采配する人間としてすごいなと思います。
私はコロンビアが終わった後、日商岩井のニューヨークオフィスに机を置かせてもらい自分で勝手に色々なところに調査を始めたんです。会計的には日商岩井米国会社とは別で、私が必要だといったお金は全部東京の本社から送ってもらい、本社に会計報告していました。
- 佐々木
へえ。ユニークな立場ですね。幸運というか、羨ましいというか。当時のアメリカはITの変化の中でも面白いことがたくさんでしたね。調べたいことたくさんあったでしょう。私もその時期、アメリカでいろいろ見てました。それは1年間くらいですか?
- 山川
それは半年ちょっと。そのときにCompuServeを使って、こういうのをやったら面白いんじゃないかと提案したんです。それで、それだったら交渉してみろと。それで交渉を始めて、ほかに何社か交渉していることが分かったんです。
- 佐々木
面白かったでしょうね。CompuServeといえば、私は87年にニュースステーションのリポーターになった時、スタッフルームにパソコンを1台置いていただいたんです。
でもあまり使う人がいなかったので、87年から88年って、結構私独占のように使っていたんです(笑)。モデムも入れてもらって、CompuServeにつないで、いろんな記事やテーマでリサーチをしたり、リサーチャーとチャットしたり。毎日使ってました。
14/24
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