ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第53回 細川佳代子さん

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特定非営利活動法人スペシャルオリンピックス日本 理事長
細川佳代子さん
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たった二人のアスリート
- 佐々木
細川さんご自身が世界大会へ立候補されたとき、まず、それはどういう思いだったんですか?
- 細川
もともと1993年、オーストリアの冬の世界大会にフィギュアスケートとスピードスケートの、小学校4年生と6年生のたった2人のアスリートを連れて、もっとも弱小の選手団で参加したのね。
その時、フィギュアスケートのかっちゃんは、緊張してしまって予選で名前を呼ばれてもリンクに出なかった。失格は失格だけれど、チャンスを与えるから決勝で頑張りなさい、って。そして頑張って出場して、努力賞をもらったっていう感動が一つ。
それから10mスピードスケートに出た少年が、何度も転びながら、何分もかかって10mゴールインした時の、彼のすごい喜びと感動で、観客がみんな涙ぼろぼろ流して、立ち上がって、もう拍手が止まらない。それを見た時に、あ、これをいつか日本でしようと決心したわけです。
- 佐々木
感動が伝わってきます。
- 細川
でもね、まだだいぶ先だなあ、とは思った。ところがその後スペシャルオリンピックスの活動は10年たってもちっとも遅々として認知されないし、どんなにマスコミに言ったって取材に来てくれない。記者発表したって、もうわずかな知り合いの人しか来てくれない。そしてもう、その偏見差別っていう意識が、相変わらず古いでしょ。しょうがない、地道にとにかく続けること以外にないと思って続けて、とにかく1県ずつ支部を作って、活動を広げてきましたよね。
これじゃあ、あと30年かかってしまうなあ、大変だなあ、と思いながら、いたわけよ。
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