ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第53回 細川佳代子さん

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特定非営利活動法人スペシャルオリンピックス日本 理事長
細川佳代子さん
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マスコミを動かさねば
- 佐々木
こういったテーマを認知させていくためには、時の流れというか時代の変化にも手伝ってもらいながら成し遂げる必要があったのではないかな、と想像するんです。確かスペシャルオリンピックスって、米軍がキャンプ内でやってましたよね?
- 細川
横田基地と沖縄ですね。横田基地はもう20年やってますね。
- 佐々木
そうですよね。私、実はニュース番組のリポーターだったときに、横田基地でのスペシャルオリンピックスを取材したいと言って番組に企画書を提出したことがあるんです。87年か88年頃です。でもだめだった。いいものだとわかるけれど、障害のある人たちの姿を視聴者は見たくないから、と言われて。粘ったつもりですが、ダメでした。
- 細川
でしょう。
- 佐々木
是非取材し、多くの人たちに参加して欲しいと思っていたので、大きな偏見があることを知り、驚きました。
- 細川
ですからね、私も始めてみて思ったんです、これはやっぱりマスコミだと。こういう状態を直す、世の中の人の意識を変えるっていうのは、ただ私がいくらしゃべり続けていたってだめ。やっぱりマスメディアがそういう動きでいかないと無理だと思いました。
まず、熊本で始めていましたので、熊本放送のクルーが世界大会に一回だけ付いて行って、番組を放映してくれました。次の世界大会の時には、今度は福岡、毎日テレビにお願いして行ってもらいました。それでも、福岡県内だけ、一回だけだからみなさんの意識に残らないわけ。
やっぱり全国放送のNHKでちゃんと取り上げてもらいたいと思って、96年に、そのときの総局長のところに直訴しに行ったんです。
- 佐々木
それはすばらしい。
- 細川
けれどね、2年間、まったくゴーサインが出なかったんです。分かってくださったんです、総局長は。それでもなかなか番組までいかない。私も、もう半ばあきらめていたの。
結局その当時は、なるべく番組では扱わないという、まだそういう社会だったわけ。NHKも、それで扱えなかったらしいの。それが2年経ってようやく。総局長がある日突然、「細川さん、たいへんお待たせしました」って電話をくださったんです。
- 佐々木
すごくうれしいですよね。さすが、やはり熱意とコミットメントを持ってアプローチされ続けた結果ですね。
- 細川
ようやく局内の反対意見がおさまって、番組を作ることになりました。ついては、そのプロデューサーを紹介しますので、一度スペシャルオリンピックスの話をしてほしい、と言われて、すぐにそのプロデューサーにお会いしたのが、小栗謙一さん。あの、映画「able」を作ってくださった。私とコンビで。それがきっかけです。
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