ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第37回 石井苗子さん

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石井苗子さん
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リストラ、両親の死、そしてキャスターに
- 佐々木
リストラか。で、フリーで翻訳者・通訳の仕事をしたのね。
- 石井
そう。その頃くらいに両親が次々に亡くなって。母なんて手術して家に帰ってきて4カ月で逝っちゃったの。家にまだ彼女の洋服がかかってるまんまでお葬式。そんなバカなって思った。父はその1年後。父の場合は健康な人なのに、遺伝的なものなのか、もしくはストレスか。その頃が今までの人生で一番大変だったなあ。
ソウルオリンピックがあった88年に、TBSのディレクターから「まだ通訳してるの?」って電話があって。「4年ぐらい看病に追われながらテレビ局の音声2カ国語放送の翻訳やったりして暮らしてます」って言ったら、「えーっ、二人とも死んじゃったの。それじゃ推薦してあげる」って言われたの。それが『CBSドキュメント』。
- 佐々木
わたしは3代目キャスターでしたが、1代目の石井さんのキャスター姿を見てあこがれましたよ。すごくいい番組だし。でもそんな始まり方なんですね。
- 石井
男性はピーター・バラカンに決まってるけど女性はまだだって。その日ちょうどソウルオリンピックを祝う会ってのを仲間とやってて、わたしチマチョゴリ着てたの。でも「今行かなきゃ駄目だ、来週になったら別の人に決まってしまう」と友達に言われて、着替えもしないでタクシーに乗ってプロデューサーに会いに行ったら、「国籍はどちら」って聞かれて「日本です」と答えたら、ちょっと沈黙があった。印象悪かったんじゃないのかな、わたし。
- 佐々木
それで気に入られたんだよね、きっと。
- 石井
いや、どーだろ。プロデューサーはそんなふうに決めるわけがないから、きっと履歴書を見て、アメリカの教戒師のところに行ったっていうのがよかったんじゃないかな。そういうドキュメンタリーが多かったじゃない? その意味では、エリート留学した人たちとは違うんじゃないかって思われたんだろうと。いろいろ見聞きしてるだろうって。それからキャスターが始まって5年やったけど、しょっちゅうけんかしてた。わたしがまた、ちーっとも勉強しないもんだから。
- 佐々木
わたしは4年ちょっとでしたね。でも、あれはハードワークですよね。外から見るのと違ってね。
英語でリポートを聞いて、自分で調べて、発言内容考えてって、大学以上に毎週ハードだった。
- 石井
今、全然、雰囲気違うじゃない? 相変わらず夜中の番組だけど、キャスターがケラケラ笑ったりしてさ。わたしの頃なんか「なんだ今の不必要な笑い顔は!」って叱られたんだから。あれでわたしのイメージができちゃったんだもん。すっごい強面のハードな。なにがハードなんだって! わたしは強面なんかじゃないのよね。
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