ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第37回 石井苗子さん

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石井苗子さん
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「憧れの華のOL」は3カ月で飽きて
- 佐々木
OL?
- 石井
わたしOLやりたくて。で、なったら3カ月で飽きちゃってさ。3カ月で丸の内中を飲んだり、食べたりで網羅しちゃって。退屈になってしまったの。合コンとか、紹介パーティとか多くてこれじゃ駄目だと思って、同時通訳訓練学校を受験したの。日米会話学院。
- 佐々木
日米行ったの? わたしも日米会話学院です。同通クラスじゃなくて、高校を出てから昼間の一般の会話の部に。そして上智に入学後は夜間で。石井さんは、どのくらい通われたの?
- 石井
2年かな。それで華のOLから同時通訳になって「さあ、仕事見つけるか」と思ったら全然なくて。ハローワークにも行ったけどなくて。やっと見つけたのが漁業交渉の仕事。
母がね、華のOLから魚屋さんになっちゃったって嘆いたのを覚えてる。「長靴なのー?」って。北太平洋漁業管理理事会っていう農林水産省と水産庁の団体が交渉する二百海里交渉での通訳をやった。なのに、これが1986年に交渉決裂。日本で初めてのリストラにあったのが、このわたし。
- 佐々木
専属通訳だったんだ。
- 石井
専属なんだけど。サラリーは8万円だった。8万でどうやって生きていく?
- 佐々木
それって80年くらい?
- 石井
そう。みんな2倍以上、初任給16万くらいもらってた。20万円あったら暮らせる時代。でも8万ってのはね、あまりにも少ないからって、フリーの翻訳者や通訳のバイトはさせてくれたんだけど、とうとうリストラされちゃって。
12/22
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