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藤巻幸夫さん
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日本発のものをつくりたい!
- 藤巻
バーニーズではいろいろな経験をしたんですよ。デザイナーがどれだけやんちゃで、気分屋で、好きなものを作り続けているかっていうことも学んだ。自分が作ったこんなにいいものなんだから、みんな着ろよっていう自己主張の世界ですよ。欧米は特に。
31歳でバーニーズの出向が解除されて、伊勢丹に戻ったら、ちょうどバブル崩壊後で、百貨店が同質化してたんですよね。どこに行っても同じブランド。僕が入社したころは、海外のブランドがいっぱいあった。一つがドカーンとじゃなくて、おもしろいバイヤーが世界中からちょこちょこ趣味的に買い付けて置いていたものがたくさんあったんです。
デパートのおもしろさっていうのは、何でもある殿堂でしょう。昔読んだ講談社の現代新書で、『デパートを発明した夫婦』ってのがあって、パリのボンマルシェ、世界最初の百貨店をつくった夫妻の話なんです。要は単純で、街にはにおいもあるし、音もあるし、何でもある、それを一つに集めた殿堂をつくったらという仮説がボンマルシェなのに、日本に帰ってくるとブランド人気で、どこも同じものを置いていた。
そんな時、バーニーズ時代にできたたくさんのデザイナーの友だちから「藤巻ちゃんと飲んだら楽しい」とか、「あいつとだったら何かやれる」とかいう人が出てきた。自分でも「なんかやろう」という思いがずっとあったんで、「解放区」というのを思いついたんです。
海外のデザイナーやバイヤーに会ったときに、みんないまいち日本人のことを認めてなかった。「洋服ならヨーロッパだろ」と言って。ヨーロッパでの洋服は、民族衣装かユニホーム、ワークウエアが原点、ところが日本は着物が原点になっている。だから、たしかにバカにされたこともある。
- 佐々木
洋服の文化の歴史が浅いと。
- 藤巻
そう。だけど、平安とか室町とか元禄の文化とか、浄瑠璃も歌舞伎もあるし、日本は「美」というものを追求している文化でしょ? 美意識というのを持っている。アメリカ人はといえば、ポップコーンとヘインズのTシャツとリーバイスのジーパン。「なんで日本人がこいつらにばかにされなきゃいけないのか」って思ってた。
そこで、「日本発のものをつくりたい!」って気持ちから「解放区」につながったんですよ。デザイナーをフィーチャーしてインキュベーションして、機能を上げながらも、そこに同質化したお客さんをも喜ばせたかった。要するにホスピタリティですよ。そこから3年くらいの間に、ものすごい数のデザイナーの人たちと会いましたよ。それが想像以上にヒットした。ヒットさせようと思って始めたわけじゃないことがよかったんだろうな、きっと。
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