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藤巻幸夫さん
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PRルーム、つくっちゃえ
- 藤巻
僕って右脳の感性もあるつもりだし、左脳、科学もビジネスマンだからあるつもり。科学って、物事の仮説を立てて検証し、継続していくことだし、それがビジネスだと思っていたから、これはちゃんとビジネスにしなければいけないなって思った。でもビジネスっていっても、百貨店は糸から売り場までを考えると、※川上・川中・川下の川下に近い。だからもっと源流に上がろうと、糸屋とか生地屋とかを回ったりして産地を勉強したんですよ。
※注:ファッションビジネスにおいて川上は繊維素材業界、川中はアパレル業界、川下は小売業者を指す
- 佐々木
フットワークがいいんですよね。よく動く。
- 藤巻
人が好きだし、伊勢丹のバイヤーをやっていることで知名度も出てきていたから、いろんな職人さんや職工さんに出会えたんです。「藤巻さんが来るなら産地で講演会させてくれ」とか「生地の評論家やってくれ」とか、ファッション業界でどんどん仲間が増えてきた。宴会好きだから、夜はホスピタリティの精神でワーッと騒いで。ああいう仕事をやっているけど、夜になるとおもしろいっていう意外性。
それで糸から織物、デザイナーが服をつくって、売り場に並べて、売るという一貫性が出てきたわけ。
結局、最後にそこに足りないのは、プレスだと思った。百貨店ではあんまりPRをしないんです。そこで僕は「PRルームをつくっちゃえ」と思って、武藤社長に「たまに編集の人にお茶を飲ませるだけで、いい商品があれば雑誌にただで載りますよ」ってフリーパブリシティのよさを説明してつくってもらった。
編集の人たちにもえらく仲間が増えて、どの雑誌社に行ってもこの調子で「これいれるから取り上げてください」って仕掛けることを覚えたわけ。その中で伊勢丹の4階のリ・スタイルっていうショップ作ったりね。
そこらへんでたくさんのデザイナーに会っているうちに、新しいことをやりたくなっちゃったんですよ。でもその前に2年間、留められたわけ。ここまでやったんなら伊勢丹でやることあるだろって。で、最後の仕事がBPQC。
BPQCはまさにボンマルシェがつくった、光と音とにおいと雑貨のシーン。それで『AERA』に取り上げてもらってカリスマとされた。
ここで、もう独立して違うことにチャレンジだ、となってアパレルの事業拡大に参画したんですね。2000年8月かな。やっぱり人が好きなんです。だからその結果、吸収しているわけで、自分のほうに呼ぼうということを意識はしていないんですよね。
- 佐々木
呼ぼうと思っても、そう簡単に人って集まって来ないでしょうし。人と出会っていても、途切れ途切れになってしまうこともたくさんあると思うのですが。
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