ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第142回 吉岡徹治さん

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(株)プライム・ヒル代表、ジュニアゴルフマジック監督、代々木高等学校ゴルフ部監督
吉岡徹治さん
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いろいろ挫折したり
- 佐々木
そして、石川遼君と出会い、奥様と2人で「この子のために仕事を辞めよう」っていうところまで、いろいろあったわけですね。
- 吉岡
いろいろ、ありました……。
- 佐々木
なんだか、一晩お話し伺わないと、って感じでしょうか。
- 吉岡
教育に対して心が折れるというか、そこまでの情熱もなくなった時期もあるし、その分、ゴルフに没頭していくような時期もあったわけですが、ただ、いつまでもそんな生活をしていてもダメだな、と思うところもあり、思い切って仕事を辞めてみたりもしました。残りの人生をゴルフに賭けようと思うようなきっかけもありました。病気をして歩けなくなるとか、車椅子ギリギリまで体を壊したときもあるので。
でも、ある意味、最後はきっかけですよね。体が、足が痺れて寝たきりみたいになって歩けなくなったような状態になると、残りの人生どうしようかな、と思うわけです。もう車椅子かもしれないな、と思うし。駅まで歩けないわけですから。
- 佐々木
それは病気だったんですか?
- 吉岡
ゴルフ部立ち上げてがむしゃらにやっていたら、そんな生活で無理がたたって、膝から下が痺れて歩けなくなったんです。仕事ももちろん行けなくなるし、いろんな病院に行っても原因が分からなくて・・むち打ち症の強烈なやつだと思うんですけど。
- 佐々木
何かにぶつかったとか、転んだとかじゃなくて?
- 吉岡
スイングの後ですね。冬の寒い時期にスイングしたときに、背中にビリッと走って、膝から下が、1時間ぐらい正座した後みたいにずっと足が痺れて動けなくなった時期があったんです。
そのとき、もうゴルフももちろんやめ、当時作っていた部活動のチームももちろん解散をして、仕事も休み、ゴルフの道具も全部もう……。もう二度とゴルフはやらないだろうな、と思ったんです。で、リハビリを始め、車椅子になるのか、仕事に戻れるかどうかも分からないし、というような中で、少しずつ体が良くなってきて、周りの方々にも支えてもらったりしながら、回復を待っていました。
そんなん時期を経験して、もし体が元に戻ったら、残りの人生は子ども達のことに、ゴルフも好きだったので、そういったことに捧げたいな、と思うようになったんです。自分にそんな仕事ができるかどうかは分からないけれども、って。
すると、少しずつ良くなっていくわけですよ。体が回復していく。すると、あれだけ、もう二度とやらないと思ったゴルフを、もう自分はほとんどゴルフをやらないんですけど、今度は指導者としてやってみたいな、と。新しく私立でゴルフ部を立ち上げるようなきっかけもいただいたり、その5年後ぐらいに入ったのが石川なので……。
- 佐々木
やはり、運命の出会いなんですね。
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