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吉田和正さん
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インテルの方が面白いのではないか
- 吉田
それは少し話せば長くなるのですが、簡単にいうと、ルームメイトのお父さんが所属していたテニスクラブのダブルスのパートナーが、インテルのエグゼクティヴだったんです。ルームメイトは、デイブ・スタントと言いまして、同じ年で、同じときに卒業をしました。ですから家族ぐるみでかわいがってもらっていてね。
僕は学生の時にテニスをしていたんですが、彼の父親はテニスプレーヤーで、それで、デンバーの非常に由緒正しい立派なテニスクラブに、「日本からアダプト(養子に)した」って言って、僕をメンバーにしてくれたんですね。そういうウィットに富んでいる人です。
そこでテニスをするようになったら、ミスター・カークという人がいた。それが、デイブのお父さんのダブルスのパートナーで、インテルの人でした。そして「もし興味があるのだったらインタビューしに来るか」という話になって、僕はアリゾナにインタビューを受けに行きました。
- 佐々木
行ったんですか。そういう出会い、ものすごくいい紹介があったということなんですね。でも同時にそのアメリカの大学4年生として考えると、他にも多様な仕事が可能だったでしょうし、いろんなチャレンジもできたわけでしょう。インテル以外にも考えました?
- 吉田
考えました。
- 佐々木
例えば?
- 吉田
ジョンソン・エンド・ジョンソンですね。
- 佐々木
あ、それはどうしてですか。
- 吉田
これは、そのルームメイトのお父さんのお仕事がメディケアで、元ジョンソン・エンド・ジョンソンから独立して、自分でビジネスをしていたからです。
- 佐々木
じゃ、そのお友達を通して、歴史あるジョンソン・エンド・ジョンソンか、ベンチャーのインテルかって考えた。そのときにインテルの決め手はなんだったんですか。
- 吉田
インテルのほうが面白いのではないかっていうことですね。ジョンソン・エンド・ジョンソンは昔からある非常にトラディショナルな会社で、インテルっていうのは新しい会社でしたから。
- 佐々木
そうですよね。82年だと、インテルは今ほど日本では知られていなかった。
- 吉田
日本で法人ができたのが79年なので、まだあまり知られてなかったでしょうね。
- 佐々木
大きくて有名なジョンソン・エンド・ジョンソンではなく、インテルin U.S.を選んだ視点は、なんだったんでしょう。
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