ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第125回 アルトマン京子さん
125
アルトマン京子さん
過去の対談一覧
第141回〜
第121回〜第140回 第101回〜第120回 第81回〜第100回 第61回〜第80回 第41回〜第60回 第21回〜第40回 第1回〜第20回
5歳の娘の方が、北京語、上手です
佐々木
京子ちゃん自身は、日、英、フランス語だけでなく、北京語も話すの?
アルトマン
1年間だけ、ハーバードの研究員だったときに勉強しました。実際に北京に住んでいたときには、サバイバル程度のコミュニケーションでした。今は5歳の娘のほうが、北京語、上手です。この間も、北京からの観光客がいたんですけれども、彼女が入っていって、いろいろ会話をしていて、「私のママは中国語、ダメなのよ」って言っている。そこまでは分かったんですけど、それ以上は、ちょっと。だから私も、本当は、もっと勉強しようと思っているところなんです。そうじゃないと、彼女の宿題とかに、ついていけなくなりますよね。
佐々木
インターナショナルスクールじゃなくて、中国の学校へ行ってるんですか、今。
アルトマン
これから、インターナショナルスクールに行くんです。この間まで中国語と英語のバイリンガルの幼稚園に行っていたんです。
佐々木
下のお子さんは2歳だから、まだ、今は英語のみで育てよう、という時期で、あと1年ぐらいたったら、先に中国語が乗るんですね。
アルトマン
日本語をちょっと始めました。
佐々木
日本語を始めたの? どうやって始めるの? 日本語のテープ?
アルトマン
幼稚園じゃなくて、こどもクラブっていうのがあるんです、香港に。そこにちょっと行かせて。あと、私自身が日本語で話しかけなければいけないんですが、今まで家で英語で話していたので、日本語に突然変えるのが難しいです。
佐々木
本当に意識して2〜3歳から。バイリンガル、トライリンガルにしようっていう、すごく明確な意識の元で育てているんですね。
アルトマン
うん。それは、あります。
佐々木
私、もっと早く京子ちゃんと話していればよかった。私は、子どもが生まれたときに、何人もに「佐々木さんのことだから、お子さんはバイリンガルに育てるんでしょう?」って言われたのね。で、私は、そういう期待には応えないぞ、と小さいときはやらなかったんですよね。でも今になって、やっぱりやっておけばよかったな、とちょっと後悔しているわけです。
アルトマン
No, no. 後悔しなくていいと思う、本当に。私だって、英語をちゃんと勉強し始めたのが13歳ぐらいかな。それにもし、その子どもが大学生になって、「英語をやりたい」とか「フランス語をやりたい」とか「ドイツ語をやりたい」と思ったときには、まだ大丈夫なんですよね、大学でしっかり勉強して。私は、遅くはないと。
佐々木
私自身、19歳で初めてアメリカに行ったのが唯一の住んだ経験。9カ月しかないし。
アルトマン
Oh, never too late. 私は今では、ずっと10年間ぐらい日本語を使っていないから、日本語がダメになっちゃって、ほとんど全部英語です。でも、それは全部13歳に始めたもので、いくつだからって関係ないと思います、本当に。
佐々木
何か、ちょっと楽しくなってきた。外国語も勉強し、海外の報道にも目を向けていきたいと思います。これからもイー・ウーマンと一緒に歩んでくださいね。ありがとうございました。
対談を終えて
久しぶりに会った京子ちゃんは、いろいろな意味での踊り場に立っているように感じました。人生を振り返ったり、この先のために準備したりしながら、自分をしっかり磨いているというステージ。私自身、海外取材を中心とするレポーターの仕事は出産後はできなくなり、働く場所を変えた体験があります。2人の小さなお子さんを育てながらのこれからの京子ちゃんのワールドワイドな活躍を、心から応援しています。イー・ウーマンでも、たくさんご登場いただきましょう。
22 /22