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野口悠紀雄さん
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変化したことの有り難さをよく認識できる世代
- 佐々木
なんだか、いっぱいお話を伺いたいんで、このままでは長くなりそうです。ちなみに先生ご自身は東京生まれでいらっしゃいますよね。どんなふうに育ってきたんですか?
- 野口
あまり変わりませんよ、別に特殊なことはないですね。われわれの世代は、たぶん、いろいろな物が大きくが変化したので、変化したことの有り難さをよく認識できる世代なんです。
例えば、明らかに経済の話で、豊かになったことの有り難さもよく分かっているし、それともっと最近の例でいえば、ITの計算能力が高くなったということの意味も非常によく分かりますね。私は学生のころ、われわれの世代は計算をすることで散々苦労しましたから、それがPCであっという間にできちゃうというのは、何と素晴らしいことだと思うんですよね。
それから例えば、小説を読んで、ヨーロッパに行けることは一生ないだろうと思っていましたからね、それが行けるようになりましたね。そういうようにとても不可能と思ったことが実現したという意味では、たぶん稀有な世代でしょうね、われわれの世代は。
今の世代の人が大変かわいそうだと思うのは、生まれたときからそういう状況にあったから、そのことの意義を理解できないですね。例えば外国に行くことの意義を理解できないんじゃないですか。
- 佐々木
私も19歳で留学をしたときに、これが最初で最後の海外旅行だと思って行きました。ニューヨーク州の北にあるエルマイラ大学というところで。上智大学のときに。昼間は上智に行って、夜は英会話学校に行って。四谷にある日米会話学院という英会話学校から交換留学で。
- 野口
ニューヨーク州の北の方ですか?
- 佐々木
はい、ロチェスターの近くです。羽田から飛びだったときには友達が15人も20人も見送りに来て。今考えるとおかしいですね、たった9カ月の留学なのに。
- 野口
羽田空港に見送りから離れていくと、最後に見送りの人とガラス越しに会うでしょ。声は聞こえないんだけどね。私はDC-8でハワイで給油をしてサンフランシスコまで。私は1度行って、そして帰ってきて、また行ったんですけど、2度目に1970年に行ったときはサンフランシスコで飛行機を乗り換えて、そのときに乗り込んだ飛行機がアメリカンエアラインのボーイング747で、もう驚きましたね。こんなにすごい飛行機があるんだと思って。
- 佐々木
ですから私は、先生がおっしゃるように、かろうじて変化というのを体感しているんですね。これが人生できっと最初で最後の外国旅行だろうと思って行きまして、帰ってきて。結局、私はニュースステーションのリポーターという仕事をいただいたので、旅を含めるとたぶん35、6カ国は行っていて、そんなことは想像もしなかったですよね。
ITも初めは大学でコボルとかの授業を取りましたけど、自分が27で起業した翌年にはコンピューターを入れてメールを始めました。でも会社をつくった87年には、会社設立のご案内状をワープロで打つのは失礼ではないかと考えました。日本語の手紙で、きちっとした手紙をそんなワープロなんかで打って失礼じゃないかと、やっぱり手書きじゃないと駄目じゃないと。
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