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宮嶋泰子さん
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スポーツって言われて、私はショックでした
- 佐々木
スポーツというテーマは、アナウンサーになってスポーツ番組を担当させられた所からなんですよね?
- 宮嶋
そうです。私が本当にスポーツが根から好きで、スポーツ大好きギャルだったら、花を見て「きれい」で、葉っぱを見て「青々している」で、そこだけなんですよ、きっと。
でも私は、「お前は今日からスポーツだ」って言われた時に号泣したんですね。だって、スポーツなんて、私、考えてもいなかったから。確かに小学校の頃は、かなりのおてんばで、私を探すなら鉄棒の所を探せって言われるくらい(笑)、鉄棒をクルクル回っていた女の子なのね。
- 佐々木
私もです(笑)。
- 宮嶋
本当(笑)? おてんば娘で、中学、高校はソフトテニス部だったり、大学はワンゲルみたいな事をやっていて、体を動かすことは常にやっていたんだけれど、いわゆる体育会っていうものとは全く無縁だったんですね。自分からテレビのスポーツ中継を観ようなんていうのは、あまりなかったですね。
テレビ朝日が、モスクワオリンピックの放送権を取って、誰か女子アナをつけなきゃいけないって思ったんでしょうね。私は77年に入社ですから、モスクワの放送権を獲得したその時の新人ですね。77年の8月ぐらい、研修が終わって、「君はスポーツ担当」と言われて、
「えっ? 何で?」って。
それまで大学でフランス文学科だったので、比較文化みたいなもや、政治の比較とか、どちらかというと、当時あった番組では「今、世界は」のようなものをやりたかったんですね。スポーツって言われて、私はショックでした。
- 佐々木
その当時のスポーツって、今とは全然違いますしね。宮嶋さんが作った世界がないわけですから、面白くない。本当に、結果報告みたいな(笑)。
- 宮嶋
30秒のスポーツニュース中心。
- 佐々木
男っぽくて、人間味がなくて。
- 宮嶋
さらにはストレートなスポーツ中継。だって、放送で女性が関わることがほとんどないんだもの。唯一、木原光知子さんが少し関わっていらした程度で、とにかく女性のスポーツアナウンサーっていなかったんですよ。
- 佐々木
いなかったですよね。第1号でしょうか?
- 宮嶋
本当に、「何をやればいいの? ここで」って。「あれが有名な須藤だよ」ってバレー会場で言われて、「はい」の「い」が出なくて、「は?」って(笑)。本当に参りましたよ。
12/24
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