ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第101回 渋谷 和宏さん

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渋谷 和宏さん
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雑誌の記者というのに、憧れていた
- 佐々木
今回、対談させていただくにあたって、改めて略歴などを拝見させていただいたんですけれども、初めは日経ビジネスから始まっていらっしゃるんですね?
- 渋谷
ええ、1984年に日経ビジネスに入って、7年間、記者として、企業戦略とかマクロ経済の分析とかいろんな記事を書きました。
- 佐々木
ビジネスの記者になりたかったということですか?
- 渋谷
そうですね。日経ビジネスのような雑誌の記者になってみたいと思っていました。一つは、雑誌の記事は新聞記事に比べて分量が多いので、自分なりの味付けを出せるのではないかと思ったんです。でも、入社してみたら、自分なりの味付けを出すことの大変さに直面して塗炭の苦しみを味わい、それがいかに愚かな考えであったかを痛感するわけですが……(笑)。
それから、署名入りの記事を書けることも憧れた理由でしたね。日経ビジネスの記事は署名入りなんです。自分の名前で情報を発信できるなんて、素晴らしいと思っていました。
- 佐々木
いつ頃からそういったお考えを?
- 渋谷
大学の3〜4年頃からだったと思います。将来のことを真剣に考え始めた時期に、モノを書いていきたいという気持ちが少しずつ芽生えていった感じです。それまでは、本当に、のほほんと、「何とかなるだろう」っていう感じの、女の子と遊ぶのだけが取り柄の世間知らずの学生でしたから(笑)。
それでモノを書くことを仕事にするにはどんな選択肢があるのだろうと調べてみたら、日経ビジネスという雑誌があるのを知ったんです。それが大学4年のことだったと思います。あの当時、就職活動って4年になってからでしたものね。
- 佐々木
そうですね。それで、入社して、すぐに記事を書くことになって。
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