ホーム> career & management > 国境を越えた足跡> 第8回 西本智実さん


第8回(最終回) 西本 智実さん 「自分で決めたことに向かってひた走る」
「男装の麗人」。そう表現すると、語弊があるでしょうか。一点を見つめる深い眼差し、優雅な所作、そしてスラリと伸びた手足。「はじめまして」のご挨拶の折、視線を外さない静かな瞳に、すこしドキドキしてしまいました。
不覚にも、手元のメモにお名前の一字を書き間違えていた私。テーブルに開いたそのノートを、しばしジッとご覧になって、「字が違う・・・かな」とつぶやかれた西本さん。普通なら、申しわけなさと自己嫌悪でパニックに陥りそうなところを、そのご指摘のさりげなさに、どれほど救われたことか。冒頭から、お気遣いが心にしみわたり、大人の優しさを思い知らされたのでした。
偶然にも、お互い大阪出身ということで、お話は関西弁で展開していきました。クールなイメージとは裏腹に、西本さんのお話の面白いことといったら。終始、笑い転げてしまった今回のインタビュー。関西ノリをご想像いただいて、ご一読ください!
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【1回】 | 音楽の作られた土地で学びたい |
【2回】 | 指揮者になるきっかけはバレエ |
【3回】 | 実力者だけが残る世界 |
【4回】 | 100人の芸術家のリーダー |
【5回】 | 良き「馬の乗り手」となる |
【6回】 | 首席指揮者の孤独 |
【7回】 | クラシックも流行曲だった |
【8回】 | 自作の詩でコンサートの感動を表現 |
【9回】 | 『外套』『修道女アンジェリーカ』 『ジャンニ・スキッキ』への挑戦 |
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西本 智実
ロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウム首席指揮者
にしもと・ともみ
ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”首席指揮者
大阪に生まれる。
1994年大阪音楽大学作曲科卒業。在学中からザ・カレッジ・オペラハウス、関西歌劇団の副指揮者を務め、1996年ロシア国立サンクト・ペテルブルグ音楽院へ留学。フェドートフ、ムーシンに学ぶ。
1998年京都市交響楽団を指揮し日本デビュー。以後、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団、東京都交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、オーケストラ・アンサンブル金沢、大阪フィルハーモニー交響楽団、大阪センチュリー交響楽団、大阪シンフォニカー交響楽団、オペラハウス管弦楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、札幌交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団など国内の主要オーケストラを指揮して好評を得る。
1999年期待される若手音楽家に贈られる「出光音楽賞」を受賞。またサンクト・ペテルブルグ・フィル(旧レニングラード・フィル)のメンバーによる室内管弦楽団を指揮した『オール・モーツァルト・プログラム』による演奏会は絶賛を博し、高い芸術性と技術及びロシア国民からの強い支持があって「聖スタニスラフ勲章」を受賞。2000年大阪市「咲くやこの花賞」受賞。2002年ABC音楽賞本賞、2002年(財)大阪21世紀協会特別賞受賞。
2002年、「ロシア・ボリショイ交響楽団“ミレニウム”」の首席指揮者に就任、ロシアのオーケストラでははじめての東洋人首席指揮者となる。同年9月には来日公演を実現。大きな話題となるとともに、その力量は高く評価された。
また、オペラ・バレエの指揮者としても活躍をしているが、中でも2002年キーロフ・マリインスキー劇場との提携制作による関西歌劇団公演にてチャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」の音楽監督兼指揮者を務め大成功に導いた。
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