
手はかかるけど大切な友達(mopi・神奈川)
猫2匹と暮らしてます。昔は外飼いの雑種犬を飼ってたのですが、その後、完全室内飼いの猫に。犬・猫という違いもあるでしょうが、部屋で長く一緒にいることと、もともと犬を飼ってた癖で暮らしているからか、犬のように返事をする猫なので、とても話がわかる(と思い込ませる?)のです。犬が寿命を全うしたときは、子どものころからの思い出が走馬灯のようによみがえり、親に叱られたときに慰めてくれてありがとう、と感謝の念でいっぱいになりましたが、この猫たちも、仕事のぐちなどをいっぱい聞いてくれて、手はかかるけど大切な友達です。
猫とわたしたちは、give & givenな仲(ORYU・関西・パートナー有)
3ヵ月の姉妹猫をアニマルシェルターから引き取って、一ヵ月になります。猫たちは、夜中は大運動会をし、朝5時には電気をつけて(タッチすると点灯するライトなので、猫には面白いらしい)人間を起こして、ご飯を催促することを覚えてくれました。わたしのほうも、仕事から帰って、猫と遊んだり、体をなでることが楽しみになってきているし、夫との会話も増えたようです。こういうのをgive & givenなのだなあ、と新しい生活を楽しんでします。
行動や仕草、泣き声から相手をおもんぱかる(Kylin・大阪・パートナー有・45歳)
猫2匹と暮らしています。いわゆる“拾い猫”です。結婚当初、パートナーが「動物なしでは生きていけない」とうるさくせがみ、餌をやるうちに情が移ってしまったのです。各地で起こる紛争・天災・事件のニュースを耳にする度、人間のことよりも動物の行く末を案じる人です。動物とのコミュニケーションに言葉はありませんが、かえって動物たちの行動・仕草・鳴き声から相手をおもんぱかる心が芽生えます。動物との暮らしが子どもたちの情操教育に良いと言われる所以です。……と書きこむ画面を飼い猫と眺めているのですが、猫の意見はどうなのでしょう?
夫婦げんかの間に入って悲しそうな顔を……(21・長野・パートナー有・31歳)
3年前から愛犬と一緒に暮らしています。幼い頃から犬はとても身近な存在。ただ、今の子は、これまでのワンちゃんとは違う雰囲気をもっていて、喜怒哀楽を表現するんです。朝、身支度を始めると寂しい表情で後をついて回ったり、帰宅するとうれしそうに吠えて出迎えてくれたり、「お散歩行く?」と声をかけると表情が一変し玄関へ走って行き、早くリードをつけてくれと首を伸ばして催促したり。
主人と言い合いをしていると、間に入って悲しそうな表情をした時には参りました。嫌なことがあっても愛犬の表情や仕草、匂いで癒される毎日です。まだまだ若いけど、いつかは……と脳裏をよぎってしまいます。すでに3回体験しているので、どんな気持ちになるかはわかっているのですが、今の愛犬は子どものように思っているのでまた違うんだろうな。わたしたち夫婦の人生のパートナーといっても過言ではないと思います。

伴侶という言葉はピッタリ(hirojun・東京・パートナー無・34歳)
動物と一緒に生活したことのないわたしにとって、5年くらい前までは「ずっと一緒に暮らしていても、動物は動物であって人とは違うのでは?」と思ってきました。しかし、今は一緒に暮らしてきた動物はかけがえのない家族の一員だと思います。それは、近所を散歩している犬とその飼い主からも、本当にわかります。「伴侶動物」というのはまさにピッタリの言葉だと思います。今は、動物を飼えない状況ですが、飼えるときがくれば「伴侶」として迎えたいと思っています。
強い女性の生き様を見せてくれたインコ(のほっち・山口・パートナー有)
今はペットを飼っていませんが、以前インコを飼っていました。決して言葉を覚えるような賢い鳥ではなかったですが、自分を鳥だと思わない行動ばかり思い出に残っています。家族全員が外出して一人取り残されると、すねて背中を向けてエサを食べなかったり、何か楽しいことがあると、いつもとは違う高い声で鳴いたりしていました。最期の時は、自分の体調が悪いにも関わらず、わたしが仕事から帰るとかすれた声で出迎えたり、心配そうに見守ると「何でもないよ」と言わんばかりに歩いてみせたり。でもある朝、声も立てずに静かに冷たくなっていました。メスのインコでしたが、わたしには強い女性の生き様を見せてもらったような気持ちでした。
老後は自然の中の一軒家で、犬と暮らしたい(いちじく・東京・パートナー有・39歳)
わたしは子ども時代から伴侶動物との生活経験はありません。現在も都会のマンション暮らしで、毎日帰宅が遅いため、動物との同居はあきらめています。でも、家族に犬を迎えたいという思いは強く、主人と「老後は自然の中の一軒家で、犬と暮らそうね」と話しています。今は一匹の熱帯魚を飼っているだけですが、その小さな存在にずいぶん癒されています。
実家に、まだ居場所があることを教えてくれる(usahana・パートナー有・29歳)
動物が飼えない決まりがある住宅事情なので。でも、実家にはわたしが学生時代に飼っていた犬と亡くなった祖母が飼っていた犬の2匹が暮らしています。悲しい時は側で体をくっつけてくれるし、実家に帰った時はいつも大喜びで迎えてくれます。帰る度に「ここにもまだわたしの居場所があるんだな〜」とうれしくなります。祖母が亡くなった後、祖母の犬はよく仏壇の前の座ぶとんの上で昼寝をしていますし、わたしがお線香をあげる時も隣にいます。心がちゃんと通じているんだと感じる時、わたしもいつかまた犬と暮らせる生活をしたいと思います。
あんな思いをするのなら……(wakano)
幼い頃は家に小鳥がいました。何匹も空に逃がしてしまったり、寒い冬に死なせてしまったりしました。また、友人・知人が飼っていたので、どうしても欲しくなり、小学生の頃、親にねだって犬をかってもらいました。でも世話が大変で、旅行に行く時は親戚に預けるたりして難儀でした。それでもいろいろな思いを共有できる、愛しい相棒で、家族にとって大切な存在でした。死んでしまった時は悲しくて悲しくて、思い出すだけで涙が止まらない日々が当分続きました。「こんな思いをするのなら、もう飼いたくない」と言ってから20年が経ちますが、いまだに飼いたいとは思えずにいます。ただ人生の中で良い経験をさせてもらったことだけは確かです。