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ホーム > news & policies > 9.11が変えた「私」と「世界」

米国同時多発テロから1年 9.11が変えた「私」と「世界」

家族で乗り越えていく911
(ピルスベリー・ウィンスロップ法律事務所 パートナー・弁護士 奈良房永)

ニューヨークで日本人弁護士として活躍されている奈良房永さんは、その時、テロの標的にされた世界貿易センターからわずか東南に300メートルしか離れてないアパートで生活をされていました。あれから1年……。夫と子ども2人の4人家族の奈良さんに、「家族」を通してこの1年間を振り返っていただきました。

「普通」の生活に戻るまでの1年間

9月11日は、わが家は通常通りに過ごそうということにしました。

娘の学校では、当日の朝は集会があって、先生からmemorialのような話があるらしいのですが、それ以外のスケジュールは普通どおりのようです。息子の幼稚園では、ちょうど11日から新学期が始まります。

わが家のように、ワールドトレードセンターからすぐ近くに住んでいるような環境でなければ、9歳や5歳の子どもにとっては1年前のことは、大昔のことです。ですから、1周年と言って騒いでいるのは、大人のほうです。

わが家の回りが、テロ事件があった以前の状態にほぼ戻ったのは、今年の夏のはじめです。家から歩いて10分も行けば、グラウンド・ゼロがあります。子どもたちのためには、少しでも早く日常を取り戻すことが大切なことでしたので、昨年の11月に自宅に戻ってからは、事件前にあったお店がまた一つ再開したとか、どの道路が開通したとか、仮設電線がなくなったとか、一つひとつの小さなことを喜び、そしてそれに感謝しながらこの1年を過ごしてきました。

テロ事件が子どもたちに「与えた」もの

子どもたちは、自分たちで消化できるだけの情報を受けとめて、それ以上は受けつけないようです。あまり、根掘り葉掘り当時のことを聞いたり、話したりするのは嫌がります。先月、私の父が、私の妹の子どもたち(娘と息子のいとこ)を連れて遊びに来た時も、当時の話はあまり話したくないという感じでした。大変な事件だったけれど、子どもたちはそれを越えて、どんどん成長して、その成長を支えてやることが親として大切なんだろうなと思っています。 娘は、事件直後は学校で頭やお腹が痛くなり、保健室に行くことが何回か続いたり、寝る時に不安がったりしました。学校は、よく面倒をみてくれました。年末には落ち着いたのですが、それまでカウンセラーをつけてくれたりと、ずっと気を使ってくれました。私たちがいつ自宅に戻れるのかなど、日々の問題に追われていた時に、学校がとてもよくしてくれたので助かりました。また娘は、事件の当日の混乱の中、私たちが迎えに行けず、知り合いの家に泊まったのですが、それを乗り越えたことが、大きな自信になったようです。

息子のほうは、「ウサマ・ビンラディンはみんなに謝ったの?」と、事件後2〜3カ月の間、何度も聞いていましたが、これもだんだんなくなりました(自分が悪いことをしたら、必ず謝りなさい、と言われているので、ビンラディンも謝らなければならない、というのが彼のロジックです)。彼は、私と避難センターに逃げた時に良い子にしていたというのが、とても誇りになったようで、一つの成長のきっかけになりました。

大変な悲劇でしたが、この経験を子どもたちにはどうにかプラスの経験としてとらえてほしいと思っています。何か機会があるごとに「二人ともよくがんばったね」と何回も言ってきました。わが家では、子どもたちが日常生活を取り戻して、事件前と変わりなく毎日の学校生活や日常生活を送れるようにすることを、もっとも大切にして乗り切ってきたという感じです。

子どもたちに対するテロ事件の影響が、新聞などでいろいろ問題にされているのは事実です。事件前から精神的に不安定だったり、問題のあった子どもは、とくに影響が大きいそうです。ニューヨーク市や民間団体がカウンセリングを提供していても、なかなかこれを利用しないで、問題から脱却できないでいる子どもたちもいるそうです。心の問題は1年経ったからといって、解決するわけではなく、これからいろいろ後遺症が出てくる場合もあるでしょう。

生活の中に残るテロ事件の余波

私自身は、事件後、車を借りて出かけるとか、飛行機で出張に行くなど、テロ事件が起こるまでは何でもなかったことに緊張しました。でも、「なるべく元通りに」を基本にやってきました。そして、今年の5月頃「ああ、本当にもう生活は元通りになったな」と感じてほっとしました。

子どもたちも、今だに「本当にワールドトレードセンターがなくなっちゃったなんて、まだ信じられないね」と言ってますが、それなりに現実を受けとめて暮らしてます。

1周年と言っても、これからの再開発議論がにぎやかだし、わが家はこれから補助金申請をしなくてはいけないなど、まだ「事件」が続いている、というのが正解でしょう。これからもどうやって対応していくかが課題です。

グラウンド・ゼロとの同居

同じマンハッタンに住んでいても、ワールドトレードセンターの近くに住んでいない家族はかなり受けとめ方が違うようです。日本などから見ているのと同じように、もう「過去の事件」と思っている人が大多数でしょう。

でも、わが家はまだそうではありません。グラウンド・ゼロとどうやって上手に同居していくかが大切だと思っています。この、ハドソン川に面して、緑に囲まれた住宅地が、子どもたちにとっては生まれ育った所で、本当に大好きな場所なのです。事件後の少しの間、今の家がある場所よりもずっと便利なミッドタウンに住んだのですが、排気ガスと騒音がひどく、子どもたちは好きになれなかったようです。だから今後数年は、再開発の渦中で暮らしていくことになるでしょう。

対照的に、私の知り合いでも、もうここに住んでいるのがいたたまれない、と遠くに引っ越してしまった家族がいます。これは日本人家族もアメリカ人家族も両方います。でも、私たちが漠然と感じているのは、全般的にアジア人(とくに中国人)はタフということです。民族的に長い歴史を抱えているためなのか、理由はわからないのですが、事件後も比較的落ち着いて元の生活に戻った人が多いようです。アメリカ・メディアのちょっとヒステリックな対応とは対照的です。

メディアと住民の温度差

メディアと言えば、アメリカ攻撃を喜ぶパレスチナ人の映像はショッキングですが、真珠湾攻撃後の当時の日本も同じだったと思えば、一概に批判はできないでしょう。

あと数日で1周年ということで、わが家の回りには日本のメディアも含めた、たくさんの中継車が来て、グラウンド・ゼロ詣での大勢の観光客にまざってテレビカメラを抱えた人たちや、リポーターがあふれていますが、ここで暮らしている約1万人の住人がいるということなど、全般的にまったくわかっていないようで、ワールドトレードセンター跡地の地下6階ほどの巨大な穴と、かなり大きな被害を受けながらも、1年間の突貫工事で修理されたワールドファイナンシャルセンターを中心に1周年の取材をしているようです。

しかし、渦中にいる私たちにとっては、1周年といっても別にそれが何か特別の節目になるとういうわけでもなく、単なる通過点にしかすぎません。



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