事件発生時には、ewomanリーダーとして8回にわたり現地リポートを送ってくださった井澤久美子さんにワシントンの「今」を伺いました。仕事を持つ女性として、二人の子どもをもつ母として、この1年間を振り返っていただきました。
ペンタゴンの今
ペンタゴンの業務は、テロからあまり間をおかず、通常体制に戻っています。ペンタゴンに勤務する関係者によると「プロジェクト・フィニックス」の名の下、すべての復旧作業を1年以内に終わらせるという前代未聞の工事でした。復旧作業は6月にはほとんど終わっていましたが、1周年のセレモニーに合わせて、外装も全部もとの形に復元するとなると、本来とても1年以内で完了できる工事ではなかったとのことです。しかし、アメリカの「愛国心」と「力強さ」を示すため、働いている人たちが一丸になって推進した工事は、人々の心を打つに十分だったと思います。 業務についてですが、支障はありませんでした。ペンタゴン内は5つに分かれており、それぞれユーティリティー(電気、ガス、水道)が別になっています。普段使っていない部屋もいくつかあったので、事故で失われた部屋の代わりはたくさんありました。細かいことを挙げればば、人事異動に混乱があった程度です。
周辺は厳戒態勢で気軽に立ち寄れる雰囲気ではないので、近辺に居住する友人(複数)から、テロ1周年を控えた現場の状況を知らせてもらいました。
―外観の修復工事は終わったようで、墜落の跡は全くありません。ただ、周辺道路は相変わらず警戒が厳しく、パトカーや軍の車が数十メートルおきに待機し、夜中は通行車をサーチライトで照らすなど、ものものしい状況です。ペンタゴンの駐車場を通ってハイウェイに抜ける道では、時折検問されているRV車も見かけます。
―時々ペンタゴンをひと目見たいという訪問客を連れて駐車場まで行きます。外側は随分前から完成しておりますが、まだ中を修復しているのが見えます。一昨日(9月3日)行った時には、復興をしている1面の前にたくさんの仮設観客席が組まれていました。9/11に行なわれるセレモニー用でしょうか。南駐車場近くと海兵隊事務所の坂の下にある芝生の2箇所に、みんなが置いて行ったリース・花・写真・旗などのメモリアルがありますが、最近ではそれも置く人がほどんどいないのか、ずいぶん質素になっています。
つい最近、破壊されたペンタゴンの一角が修復終了し、最後の壁面がはめこまれました。周囲の元からあった壁面と比べると、新品で、そこだけ真新しく、格段に色が違うそうです。
子どもたちが受けた傷

テロ以降激減した観光客を呼び戻すために、
街中のロバ(民主党のシンボル)100頭・ゾウ
(共和党のシンボル)100頭を設置するという
キャンペーン。ケネディセンターのゾウは、
テロの被害にあったDCとNYの地図がペイント
されていた。
子どもたちにゾウから連想されるものを
尋ねたところ、Freedomと答えた子が多かった。
テロ直後、間髪をおかず、13日付けで、メリーランド州モンゴメリー郡教育局から各学校を通じて、テロが子どもたちに引き起こすかもしれない心的ストレスに、どんな兆候があるか、どう対処すべきか、通知がきました。相談が必要な際は、専門の危機管理センターが設置され、24時間無休無料で対応可能、ということで電話番号が明記されていました。
子どもたちの関心が、「米国はテロの報復措置として戦争を本当に始めるのかどうか」に移っていった時、が新たな緊張のひとやまでした。「本当に戦争になるの、アメリカにいて大丈夫なの?」と聞かれても、答えようがない、やりきれない気持ちでした。でも、その時、思いました。親が子どもと一緒になって動揺してもはじまらない、「平常心を保つこと」と思い定めました。普段どおり、朝はお弁当を作り、学校に送り出し、学校から戻れば、それぞれの稽古ごとに通い、私は自分の仕事をし、ひたすら、めいめいの日課に打ち込みました。流言蜚語に惑わされず、大小の噂に一喜一憂せず、「平常心」の一念で、この1年間、過ごしてきました。
2001年の9・11から今日まで
信じられないことが起こって、テレビにくぎ付けでした。テロの第一報を11日朝9時15分、移動中の車のなかで、知ったその瞬間から、あの11日が12日に日付が変わるまで、時間刻みで、克明に思い出すことができます。世界貿易センターに飛行機の第2機が突っ込む瞬間の映像を初めて見た時、息をのみ、口が半開きのまま、自分で自分の手を握りしめていたその感触まで思い出せます。
友人の夫が出張でWTCマリオット・ホテルに逗留中だったので、無事が判明するまで、文字通り、息をつめたままでした。「現場近くにいた」こと、リアルタイムで刻々と目の前で状況が展開していたことは、やはりショックだったと、今更ながらに思います。テロから1週間ほどたった頃、動悸、息切れ、めまい、不眠におそわれました。子どもたちが学校から持ち帰った「心的ストレス」症候そのものでした。まさか、自分にそんな症状が出るとは思いもよりませんでした。自分では普通にしていたつもりだったのですが、気づかないうちに、心の奥深くで気持ちが消化不良を起こしていたのでしょう。
あまり息苦しいので、行きつけの中国人漢方医に駆け込みました。老先生いわく「あなただけじゃない、この数日、ワシントン近郊の中国人が、朝から晩まで訪ねてきます」。実際に肉親や最愛の人をテロで亡くされた方たちを思えば、たまたまワシントンに子どもたちと居住しているくらいで、ストレスになるはずがないと思い決めていました。鍼灸治療と漢方薬は効果てきめんでしたが、「気」の持ちよう、というとおり、老先生のおっしゃった「あなただけじゃない」という一言が、いちばん心に響きました。
ナショナリズムの高まり
12月に一時帰国から戻った友人は「ワシントンに戻ってきた当初は、ここぞとばかり星条旗を目にした」と言いました。当時にくらべれば、目立たなくなりましたが、「Proud to be an American」「We never forget」といったスローガンやポスターは、スーパーの入り口や銀行、レストランなどでよく見かけます。
テロをきっかけに、移民・異人種で成り立っているといっても過言でないアメリカで、国民が今までになく愛国心を鼓舞されたことは、容易に理解できます。反面、「世界の正義」をふりかざし、他国を寄せ付けない独断専行に、受け入れがたさを感じなくもありません。テロの後、愛国心から軍に志願する人が何倍か増えたと聞きました。「祖国を自らの手で守ろうとする人がいるのだなあ……」日本人にはまず見られない反応に正直、驚きました。一方、「熱しやすく……という部分」も指摘され、周囲の状況を冷静に客観的に見て判断できるのかな?とも思います。
企業に与えた影響
テロ直後、金融・保険会社の株価が一気に下落し、企業活動だけでなく一般投資家が受けた影響は、計りしれません。飛行機の利用客も激減し、経営危機に直面している航空会社があるのも周知の通りです。旅行会社関係の方にとっては、とくに大打撃だったようです。「テロの後の1週間は、手配のキャンセルとDC滞在中の旅行客を無事に日本へ帰国させるのに追われました。事務所を縮小するところ、解雇された人たち、倒産をしたなど、いろいろでした。旅行会社で働いている人は、ほとんどが現地採用なので、ビザのない人や申請中の人たちが苦しんでいるのをかなり見ました」とのこと。
この方がいた会社では、DC事務所の邦人社員4人のうち、この方を含めステータスのある2人が会社を辞め、グリーンカード申請中の2人が会社に残り、月給制から時給に切り替えられながら、四苦八苦のやりくりを強いられました。業界によっては、ビザも取得できず、会社にも残れず日本へ帰らざるを得なかった人たちもいたようです。