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Clay Chandlerさん
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さまざまなメディアを歩んで
- 佐々木
クレイは、日本語は流暢だし、中国語もたしなんでいて、アジア全般の政治経済について見識のある優秀なジャーナリストであることは知っていますが、今日はいつもあまり語り合うことのない、今までの仕事や考え方など、いろいろ教えてくださいますか。まず、ジャーナリストになった背景から、教えてくれますか。じゃ、日本語でお願いします。
- チャンドラー
はい。まず大学出てから、ジャパン・タイムズに勤めて、大学院に戻ってから、朝日新聞の奨学金で、大学院の卒論を研究しました。その間に、ウォールストリート・ジャーナルにスカウトされて、バブルのピークの89年12月に入社。
で、入ったけれどすぐに日本の経済がダメになっちゃって、3〜4年くらいやってたけれど、その間、かなり日本の経済がダメになったおかげで、僕の記事が、ウォールストリート・ジャーナルで大きく取り上げられるようになって(笑)。
で、僕の署名がアメリカでも知られるようになって、今度はワシントン・ポストにスカウトされて、チーフのエコノミック・コレスポンデントとして5年間仕事しました。主にクリントン政権の経済政策。もう全部、金融政策から、労働問題、貿易問題、税金なども含めて。政権だけではなくて、議会の中の、経済関係の議員会とかも全部カバーしてました。
でも、同じ問題が繰り返されてるばかりっていうことで飽きちゃって(笑)、海外にまた行きたい、アジアに行きたいと。そうしたら、たまたまその、香港支局長のポストが今度、空くんで、「じゃあ、どうだ?」って言われて、そこに行って。香港ビューロー・チーフとして、アジア全体を見ることに。そのうちに、フォーチュンが人を探してて、雇われたんです。
- 佐々木
香港が何年?
- チャンドラー
ワシントンポストで3年。その後フォーチュンで滞在しているので、今年で年7年目になります。
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