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菅家ゆかりさん
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1人合格。日本テレビのアナウンサーに
- 菅家
そうですね。皆、わりに堅い仕事に就いたんですけれども。
- 佐々木
アナウンサーの就職試験を受けて。
- 菅家
そうですね。就職試験で日本テレビに入ったんですね。
- 佐々木
難関ですよね。
- 菅家
その当時でも……。今はもっとですけれど、やはり1,500人とかが受けたなかで、男女1人ずつだったので、本当に「宝くじ以上の確率ですごい」と。自分でも、「運がすごくあるな」と思いましたけど。
- 佐々木
そのとき、どんな気持ちでした? 嬉しかったでしょう?
- 菅家
家族とか親戚中、家族ぐらいは受けたのは知っていたんですけれども、アナウンサーに受かったって言ったら、「えっ!」って大騒ぎになって。それで、まして田舎にも映るので、「大変なもんだね、あそこのゆかりちゃんは」みたいになっちゃって(笑)。
- 佐々木
アナウンサーになりたくて、大学のときから勉強されていたんですか?
- 菅家
そうです。大学に入る時に、新聞学科っていう、マスコミを専攻したので、その時点でなにかマスコミの仕事をできたらいいなとは思っていたんですね。
- 佐々木
訓練していたんですか? 発声とか。
- 菅家
いや、そのときにはまったく何もしていなくて、大学でもアナウンス研究会とか放送研究会にいたわけじゃなくて、ただ、なにかそういう仕事ができればいいと思っていたんですけど、やっぱり皆マスコミに入りたくて集まってきた仲間ばっかりだったので、かなり優秀な人がいて。
物を書く才能がとても素晴らしい人だったり、クリエイティブなものを持っていたりっていうので、そのうちに、やはり自分の才能の限界を感じるわけですよね。「書く仕事もなあ……。あれだけ周りにいると、ちょっと能力的に、なかなか厳しいだろう」っていう風になってきて、そのときにアナウンサー志望って、そう簡単に受ける人がいないんですね。やっぱり確率的にも厳しいですし。それだったら、男女で採用が結構定期的にあったので。
- 佐々木
でも、定期的って各局1人だから、あまりそこを狙っては皆行かないと思うけど。
- 菅家
ええ。その当時、女性で総合職でテレビの採用って、ちょっと少なかったので。
- 佐々木
そうですね。そう言いながら、私も受けましたから覚えています(笑)。
- 菅家
ですよね。ようやく私のときで、何年ぶりかで採用があったんですけど。確率として、「アナウンサーの方が、万が一チャンスがあるかもしれない」というんで。で、その前にトレーニングは渋谷の学校に行って、受けました。
半年ぐらい通って、そこで本当に基礎からやって、そのうちに「オーディションがあるから、NHKの番組をちょっと受けてみたら?」って言われて、受けたら受かっちゃって、朝の情報番組のレポーターをやっていたんです。それで、自分でも「私、ひょっとしたらチャンスがあるかもしれない」というんで、ちょっと自信がついて、それでその仕事を少しやりながら入社試験も受けたんです。
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