ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第75回 津山 直子さん

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日本国際ボランティアセンター(JVC)南アフリカ現地代表
津山 直子さん
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だんだん強まったアパルトヘイト
- 津山
はい。でも当時は、まだ若くて、ANC(アフリカ民族会議)青年同盟の議長をされていたと思います。
- 佐々木
ANCを作ったのは?
- 津山
ANCは1912年にできました。議長だったアルバート・ルツーリという人は、1960年にノーベル平和賞を受賞しているんですね。だから、ANCは非常に古い歴史を持っているんです。それでもアパルトヘイトがだんだん厳しくなっていく中で、「もっとアパルトヘイトに対して強く反対運動をしていく必要がある」って言って活動したのが、ネルソン・マンデラ氏とかウォルター・シスル氏の世代です。
- 佐々木
アパルトヘイトは、なぜ、だんだん強く厳しくなっていったんですか? 300もの規制は、はじめから300あったんじゃなくて、だんだん増えていったんですね?
- 津山
「人種隔離」を完全にしていくために、より厳しくなり、多くの法律が出きました。たとえば人種間を超えた結婚を禁止する「雑婚禁止法」もその一つです。
- 佐々木
1987年と91年に「ニュースステーション」の取材で行きましたが、南アフリカの抱える問題をテレビで見せるのは、とても難しかった。「権利がない」という苦しみは、映像化しにくいからです。
変な言い方かもしれないけれども、飢餓は映像で苦しみが伝わりやすいんですけれども、「権利がない」という映像は難しい。居住区の違いはその中で映像にできたわけですが、それでも彼らのあの天性の明るさがあるので、大きな悲劇に見えなかったりするんですね。
服も、きれいじゃないけど皆着てるし、靴も履いているし、中にはぼろぼろだけど車に乗っている人もいる。そして笑顔で歌を歌っていたり。だから、毎日の生活で多くの制限を受けているアパルトヘイトの苦しみを世界に知らせようとしても、難しい面も多かったのではなかったかと思います。
- 津山
そうですね。人種が隔離されているとかということ以上に、目に見えないところでシステムとしても、白人が国のすべてを決めて、黒人は底辺に置かれて、いろんなことを決定できないとか、経済的にも白人に依存する社会体制になっているとか……。
そういった深い意味での「アパルトヘイトの根っこ」っていう、白人社会に依存しないと黒人は生きていけない制度、あるいは社会体制を作っていたから。その中で私たちは、より自立した地域づくりをしていこうと活動を始めたわけです。
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