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江端貴子さん
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エグゼクティブ・サーチからの転職の誘い
- 佐々木
MIT卒業後は、プログラムやシステム開発はされなくなったので、そうした仕事への未練はなかったのですね? 経営が分かっていればもっといいプログラムが作れるという起点から、キャリアが外れることにはなりませんか?
- 江端
それはないです。富士通でもすでにプログラマーから企画に移っていましたから。ただ、企画する時に考える範囲が狭いと思ってはいました。
- 佐々木
マッキンゼーでは、自分の考えが広がったり、総合的な視点に立ったコンサルティングができたりして、日々満足だったのでしょうね。
- 江端
そうですね。
- 佐々木
でも5年半で、アムジェン社に転職されますね。その理由は?
- 江端
たまたま、エクゼクティブ・サーチのヘッドハント会社から電話がかかってきたんです。「一度、話をしたい」と言われたのですが、当時はコンサルタントを辞めるつもりがなかったので、「今は転職を考えていません」と断りました。
でも同僚に、「こうした分野の人材データベースは間違いが多く、修正が遅いので、一度、担当者に実際に会って話したほうがいい」と言われてしまったので(笑)、会うことにしたのです。
会ったヘッドハンターも、私の詳しい経歴を知らなかったし。そんな調子で会ったのに、帰りがけに「実は1件扱っている件があって、ご興味があれば、ぜひご紹介したい」と言われてしまったのです。
「あとで会社のプロフィールをお送りします」と言われて届いたのが、アムジェン社でした。当時、アムジェン社は経営企画室長を探していたのですが、私はアムジェン社を名前しか知りませんでしたので、「どういう会社なんだろう?」という感じだったのです(笑)。
帰宅後にゆっくり会社案内を見て、当時は唯一のバイオ製薬部門で成功している米国企業で、日本での事業展開を考えているということを知りました。
当時、私は製薬会社のコンサルティングをやっていたので、外資の日本法人の社長さんたちが日本の製薬業界の慣習に頭を抱えて悩んでいるというのを、ずっと見てきていました。さまざまな規制が手かせ足かせになり、希望する事業展開ができないということが、全員に共通した悩みだったのです。
アムジェン社の場合、ユニークなバイオ製品を取り扱っていたので、製薬会社の営業が病院の医師との人間関係で薬を売り込まなくても、新しいビジネス展開ができるのではないかと感じ、だったら一度実務をやってみるのもいい経験になると、転職を決めました。
- 佐々木
エグゼクティブ・サーチから声をかけられて、転職を決めるまでにかかった時間は?
- 江端
実際には半年くらいです。日本法人の社長をはじめ、幹部の方々にもお会いして、どんな雰囲気の会社なのかを調査しました。同時に、アメリカの本社にも行き、関連部署の担当者の方々にもお会いしました。まあ、向こうからすれば、面接になるわけですが。
- 佐々木
マッキンゼーに在職中ですね?
- 江端
在職中ですが、こういう点には寛容な会社でしたので。ずっとマッキンゼーにいるスタッフのほうが珍しいという社風でしたから、いい転職の機会があれば前向きにサポートしてくれるという会社だったのです。
15/22
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