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久保京子さん
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『アンアン』のレギュラー決定!
- 佐々木
次の1年で夢の化粧品会社の仕事を!ということでしたが、それはいつ取れました?
- 久保
そう甘くはなかったんです(笑)。でも、もうひとつの目標として、雑誌の専属モデルになろうっていうのがありました。『アンアン』で、専属とまではいかないんですが、レギュラーの仕事をいただいたんです。21歳のとき。だから2年かかりましたね。
- 佐々木
あこがれの雑誌でのレギュラーはうれしいですね。
- 久保
はい。でも、大人っぽかった。
- 佐々木
え? 大人っぽかった?
- 久保
『アンアン』の前に『マダム』っていう雑誌に、弱冠20歳の時に出てたんですね。20歳で、ですよ。うれしいけれど、これはわたしとしては不本意なんですね(笑)。でもやっぱり仕事をさせてもらえる舞台を頂いたわけですから、それはもういろいろ、ああでもない、こうでもないってポーズなんかを駆使したりして頑張ってたんですよ。それでやっと21歳の時に『アンアン』。
- 佐々木
いきなり、若者の世界へ(笑)。
- 久保
違うところに、いきなりぽーんと行った時に、自分の中にたまってたものが、全部出たんですね。エレガントを追究しなければならなかった世界から、アクティブさとか若さとかエネルギーとか流行とかそういったものを出すところへ。だから、全部出せたんです。
- 佐々木
でも、それってもしかすると、キャリアとしてはとっても良かったんじゃないですか? 最初にエレガンスを学んだことで上品さが身についた。もしかすると、18歳からシャンプーCM 、すぐに『アンアン』ってきちゃうと、高校生のまま、という感じだったかもしれないし。
- 久保
そうですね、そうかもしれない。やっぱり『アンアン』の中でも大人っぽいっていう感じでしたしね。その頃は、外人さんやハーフの方が支持されていた時代なんですよ。だからハーフか外人になりたくて(笑)、メイクがかなり濃くなっちゃってたんですよ。でもそのメイクなんかも、エレガンスをやっていたので、大人メイクを教わっていたから、良かった。大人っぽいモデルの部類に入ってたんでしょうね。
- 佐々木
『アンアン』は何年くらいレギュラーで?
- 久保
長かったですね。4年くらいやらせてもらったのかな。その後に、林マヤとか、くればやしよしことか、日本人モデル主流時代になっていったんです。
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