ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第24回 鳥越俊太郎さん

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鳥越俊太郎さん
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僕が新聞記者になったのは
- 佐々木
鳥越さんは、大学時代から記者を目指していらしたんですか?
- 鳥越
なりたいって思ったこと、一度もないんですよ。
僕ね、大学に7年いたんです。留年1年、専門が4年、教養課程3年。大学に在籍できる年数は7年しかないんです。卒業する年に就職しなければいけないけれど、現役じゃないので、普通の会社の試験を受けても受からないだろうなと思って、自らあきらめて。
ただただ本が好きだ、という理由で出版社に行きたかったんですが、出版社の採用は1人か2人ぐらいしかなかった。
出版もあきらめて、「どうしようかな」と思っている時に、たまたまクラスに毎日新聞の試験を受ける同級生がいたんです。その彼は、ずっと前から作文の練習なんかをしていたらしいんですが、僕は何もしていない状態でした。
でも人に聞いたら、新聞社というのは、「採用人数がある程度多い」「学校の成績はあまり重視されない」ということだったので、「お! おれにピッタリじゃないか。学校の成績が不問だったら一発勝負だ!」と思って(笑)。
- 佐々木
京都大学ご出身なのに(笑)。
- 鳥越
ええ、でも、授業はほとんど出ていなかったから。どこかの議員じゃないけど、本当に卒業証書あるのかな、単位なんか取ったのかしら、なんて(笑)。
それで、毎日新聞と朝日新聞の入社試験が同じ日にあったので、どっちを受けようかと迷い、毎日新聞にしました。それはね、当時、昭和39年ベトナム戦争の真っ只中で、毎日新聞が一番元気がよかった。大森実さんという毎日新聞外信部の部長が陣頭指揮で、現地から「泥と炎のインドシナ」という連載をやっていらっしゃって、それが魅力的に見えたんです。記者が戦場に入って、現地からリポートしているのがいいなと。
- 佐々木
じゃあ、新聞社なら、やっぱり記者に、ということですね。
- 鳥越
まあ、書くことに関心はありましたけど、とくに記者になるための準備をしたわけじゃなかったんですよ。成績を一切問わないんだったら受験できるよね、という思いから。結果的に記者になったわけです。
- 佐々木
でも記者は入社倍率高かったでしょう?
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