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久保純子さん
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3年弱イギリスにいました
- 佐々木
久保さんご自身は、東京で生まれて、小学校のときにイギリスに。
- 久保
はい。小学校3年の終わりから中学校に上がるまで父の転勤でイギリスにいました。それまでABCも全く分からなかったので、最初はとても戸惑いました。それに、日本の小学校では、「おしゃべりばあさん」とか「ハッスルばあさん」とか「歩くトーキングマシン」と言われていたぐらい、とにかくよくしゃべって、よく遊んで。兄がいることもあり半ズボンで夕方真っ暗になるまで、外で野球をしたりサッカーをしたりして遊んで帰ってきた子どもだったんです。とにかく活発。
そこから、いきなり全くの異文化に。異国の、言葉が分からない環境に入ってしまったので、貝みたいになってしまいました。全くしゃべれなくて、寂しくて。もう、ほとんど30年前ですよ、あまり日本人や海外の方がいらっしゃることもなかったので、私が日本人だと言っても、どこの人? アジア? それはどこ? のような感じで。
- 佐々木
そうでしたね。ニューヨークでも、当時はそんな感じでした。イギリスはロンドンですか?
- 久保
ロンドン市内から電車で15分ぐらいです。最初は馴染むのが大変でした。でも、次第に、言葉を覚えた1年を過ぎた頃から、もうマイワールドが展開されて。
- 佐々木
へえ。でもやっぱり1年ほどで言葉の問題とか子どもはキャッチアップできたんですね。
- 久保
そうですね。1年間は全く何を言っているのか分からなくて。現地校に通ったんですけど、何をやっているかも、宿題もできずに。母が英語の教師なので、家では母がもっぱら教えてくれて、宿題をやってくれるという状態がずっと毎日続いていました。でも、お友達には恵まれて、ドイツやイタリアやスペインから、いろいろな子が来ていたので、その子達とまず仲良くなって、それから次第にイギリスの現地の子どもと仲良くなって。環境的には、広い公園のような芝生のお庭がある家だったので、庭で遊んだり、そこにお友達を呼んで遊んだり、それで次第に友達の輪が広がっていきましたね。
- 佐々木
でも、辛い目にもあったとか。
- 久保
そうですね。言葉が分からないという壁にぶち当たったので、「人とは違うんだ」ということがいろいろわかったんですね。いじめと言ったら大袈裟なんですけど、子ども同士ならではの、違いを見出されたり、きっと、悪口とまではいかないまでも、いろいろ言われているんだろうな、と思うようなことは、いっぱいありました。とても悲しいと思いました。
- 佐々木
でも、何を言われているかは、よく分からないのよね?
- 久保
よく分からないんです。でも、きっと差別的な言葉なのではなかったかと。いろいろ、そういうことはありましたけど、でも、子どもならではの、一時のぶつかり合い、小競り合いみたいなものでした。
- 佐々木
で、日本に帰ってきて、日本の普通の学校に行って、またアメリカに行ってらっしゃるんですよね?
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