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張 晞さん
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「飛行機で3時間で行ける」っていう説得でした
- 佐々木
では、そこまでの育て方をして、ホテル勤務も大冒険だったはずなのに、今度は、日本に留学なんていうのは、また、お父さまにとってもご家族にとっても、一大事だったんじゃないですか?
- 張
そうですね、ものすごく。最終的に、父は「ありえない。一切協力しない」って。でも、そうするとパスポートも取れない。一切協力はしないから。でも母親が結構オープンで、「また戻ってくるでしょ」「近いから」って。
父を説得したのは、「飛行機で3時間で行ける」っていうことでした。同意してもらって。でも、最終的には、お父さんは一切手伝いをしなかったんですよ。全部母が、パスポートとか、いろいろやってくれて。ただ、父の娘っていうことで、誰でも協力するから、すごく順調に日本に来たんですよね。
- 佐々木
そうか。お母さまは、どんな方だったんですか?
- 張
もともと、結構お金持ちのお嬢さまだったんですけれども、毛沢東の思想に憧れて軍に入ったんですね。入ったら、当然、もともとお嬢さまだとか、いろいろあって、軍の中の大学の医学部に入ったんですよ。
だから、根っこは共産党の、やっぱりお嬢さまの血が多いんじゃないかなと思って。だから私、小さいとき、ダンスもバイオリンも全部習わせてくれたんですよ。
- 佐々木
お母さまお父さまからの教えの中で、生き方とか、働き方とか、人との付き合い方とか、覚えているメッセージとか、あるいは家族のシーンとか、何かありますか?
- 張
ありますね。母に一番教えてもらったのは、例えば、常に、家にいる運転手さんとコックさんとお手伝いさんは、平等に扱っている。だから全然、命令とかしない。
例えばコックさんに、「今日は何のメニューがよろしいですか?」って聞かれたら、いつも「任せます」って言うんですよ。平等に扱っているっていう。
- 佐々木
つまり、「私、これを食べたいから作ってください」っていうのではなくて、「あなたの提案でいいですよ」ということ。
- 張
そうですね。お任せしますし、で、すごく平等。中国では、お手伝いさんに対する扱いってすごく荒いんですよね。でも、うちで私をずっと育ててくれたお手伝いさんは、いまだに私が中国に帰ったら、必ず手作りの餃子を作ってくれたりするんですよね。私の子どもにまで、必ず手縫いの洋服を作ってくれるんですよ。
だから、いつも平等に扱うこと、愛情を持って、みんな、同じ。相手だって仕事ですから。好きで来たわけじゃないんです。
- 佐々木
そうですね。今、お父さまとお母さまは、生活を、どこでされているんですか?
- 張
南京で生活して。引退した幹部なんですけれども、お手伝いさんとかも、家には常に住まないけれども、呼んだらいつでも来る。車で、たとえば24時間、いつでも来るんですよ。
- 佐々木
すごく待遇がいいんですね。
- 張
そうですね。でも私は「もう辞めましょう」って。今は、お金を出せば何でもできる。昔は、お金を出しても、タクシーがあるわけじゃないから。今は……。
- 佐々木
お金があってもできない時代と違うから。
- 張
今は、お金があればできるんですから、なるべく迷惑をかけないように。
- 佐々木
お姉さんが2人いらっしゃるんですか?
- 張
姉が1人と、妹が1人。姉は南京の大学で数学の教授をやっていて、もう理解できない、私には。向こうも、「あなたが妹じゃなければ、絶対口も利かない」と言ってます(笑)。全然違うタイプで。
妹は日本にいます。彼女は、天安門事件のとき、大学生だったんですよ。で、私は「これは、中国はもう無理だ」と、大学を中断させて、日本に呼んだんです。
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