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今週のテーマ
会議番号:2703
宗教団体はもっと積極的に社会活動を行った方が良いと思う?
投票結果
52
48
163票
149票
この会議への投票・投稿は
募集を締め切りました。
【開催期間】
2009年04月27日より
2009年05月01日まで
円卓会議とは
このテーマの議長
井上順孝 國學院大学教授
ご意見を読んで、宗教団体の社会的活動ということについて、あまり明確なイメージを描けない人が多いような……
議長コメントを全文読む
1日目までに届いている投稿から...
もっと身近に (lyco・愛知県パートナー無・)
私には、宗教団体の存在が日常生活からとても遠い存在のように感じています。ニュースでイギリス国教会が信者に対し、サイトでお金にまつわる祈りの言葉と、債務危機に対処する手引きも紹介されているケースがあると聞きました。宗教とは、死者への弔いもあるのでしょうが、今生きている人へ向けるものだと思います。英国国教会のように、実際生活をしている人へのメッセージを実生活に合うように発してもいいと思います。
博愛精神 (真打ち・栃木県・パートナー無・39歳)
宗教団体による社会活動には、博愛精神も必要だと思う。宗教に属さない、もしくは自分と宗派が合致しない不特定の人々が対象となった場合に、一体どこまでの貢献が出来るか疑問も残るが、マスコミに良くは取り上げられないことの多い宗教団体であっても、地震などの災害時には多額の義援金を送るなどの貢献が見られ、報道を鵜呑みに判断するのはどうかと思う時がある。
社会活動は結果で目的ではない (mjean・東京都・パートナー有・32歳)
プロテスタントのクリスチャンです。教会でもボランティア活動などありますが、これは教会の最も中心的な活動ではないと思います。社会活動はしなくてよいという気はありませんが、礼拝・宣教という本来の活動でないところで批判するのはどうかと思います。そもそも宗教は(少なくともキリスト教は)困難に直面したときに助けを求めるためだけのものではありません。“困ったときの神頼み”的な考え方がこのような批判を招くのではと思います。
個人のこころ。 (ぴょこん・神奈川県・パートナー無・37歳)
そもそも宗教は、ものすごく個人的なものです。自分の信じるものがあれば、他人との関わり以外で自分自身のこころを強く持てるのもだと思っています。社会活動をするかどうかは、個人のこころの持ちようだと思います。こうあるべき、というものではないと思うのです。
逃げ道になるのでは? (パフィンドーナッツ・埼玉県・パートナー有・40歳)
諸外国では、宗教団体の慈善活動が非常に活発だと思います。しかし、その裏を返せば、行政の福祉政策が不十分であることを意味していると思います。宗教団体の活動が無ければ、多くの人々が困る状況でしょう。宗教活動が活発な国では、それでも良いのでしょうが、宗教心の少ない日本では、それも期待できないと思います。また期待すること自体が、少しおかしいと思います。行政の政策の足りない部分を宗教団体の活動に頼るという構図は、逃げにしか見えません。
社会活動ができる魂を育てるべき (nonor・アメリカ・パートナー無・53歳)
親に依存している妹が宗教団体に所属し釈迦の教えでも学ぶかと期待しましたが、御先祖様だの霊能だのそんな話しばかりして自分の生き方は相変わらず依存的で一般常識からさらにはずれて行きます。社会活動をするのは団体の正しさのアピールにも使えます。それよりも所属している人の生き方を正しい方へ導ける人材を育てる事が大切。社会活動はしやすいわけですが、会員はそれを自分の功績のように間違ったりもします。宗教は日常生活の中で個人の魂を救う成長させる団体である事が本道だと私は考えます。
宗教は求めるもの (陽菜・山口県・パートナー無・39歳)
生活していて鬱陶しいと思うのは、宗教勧誘の訪問や、急いでいる時の「貴方のためにお祈りさせて下さい」という押しつけ。「求めよ、さらば与えられん」というのが宗教の始まりだと思います。必要な人が求め、そこに与えられるものであり、求めていない人に押し付ける必要はありません。
活動の前に客観的知識。 (ano・東京都・パートナー無・40歳)
私は、お盆や七五三の知識もないまま成人しました。学校では歴史で仏教伝来・十字軍など、宗教の断片だけ知りました。成人してから、本を読み多少、神道・仏教など解りました。ただ市販の本は著者の意向が強く客観性が低いと思います。例えば総理大臣が神社に行く事が非難されます。一方ヒラリーさんは神社でお祓いを受けています。こうした事の知識が国民にないまま宗教が活動をするのは、国民に誤解を与えると思います。神道、仏教、キリスト教などの基礎知識の教育が必要だと思います。
宗教とは生き方だから (まるげりーな・埼玉県・パートナー有・34歳)
ロンドン滞在中に、友人を訪ねてスペインへ行ったときの教会の様子を思い出しました。ミサのための長蛇の列でした。彼らは、カトリック信者としての人生を選んでいるので、日常的に宗教と携わっていて、日本のように、何かあったら宗教に頼るのとは違うように感じました。また、宗教は、基本的に、洗礼を受けた人がサービスを受けるものなので、日本人の心にそれだけの宗教があるのかと考えると、宗教に社会的貢献を求めるのは、私たちがまず準備不足ではないかという気がします。
2日目の円卓会議の議論は...
社会的活動のイメージとして何が浮かんだのでしょうか
ご意見を読んで、
宗教団体の社会的活動ということについて、あまり明確なイメージを描けない人が多い
ような印象を受けました。日本社会における宗教団体の位置づけが関わっているのかもしれません。(lyco)さんの「私には、宗教団体の存在が日常生活からとても遠い存在のように感じています」という意見がそれを端的に示しています。
さらには、社会活動と布教活動があまり区別されていないのではないのではないかと思われるような意見もありました。(陽菜)さんは、宗教勧誘に鬱陶しさをおぼえ、「必要な人が求め、そこに与えられるものであり、求めていない人に押し付ける必要はありません。」という意見です。
しかし、
社会活動は布教や押し付けの活動とは少し異なるもの
を指しています。
NPOとしての活動、あるいはボランティア活動など
が含まれます。宗教の社会的活動として比較的知られているのは、赤い羽根募金へのボランティア活動とか、歳末の社会鍋の運動などです。社会鍋は困っている人への炊き出しなどを行なう活動で、キリスト教系の団体が行なっています。
(パフィンドーナッツ)は、宗教団体の慈善活動が非常に活発な国は、行政の福祉政策が不十分であることを意味しているとし、「行政の政策の足りない部分を宗教団体の活動に頼るという構図は、逃げにしか見えません」と厳しい意見です。ただ西欧のキリスト教国では、キリスト教団体などがNGOとしてさかんに活動している事実があります。
こうした意見を読むと、
「宗教団体の社会活動」として、どんなイメージが浮かんだのか、それを知っておきたいという気がします。この点について、少し具体的に示してもらった上で意見をいただければと思います。
井上順孝
國學院大学教授
「「スピリチュアルな」と聞いて、良い印象を持ちますか?」
スピリチュアルという言葉は、肯定的で良いイメージを与えるもの?
「熱心な信仰のある人はつきあいづらいですか?」
自分の寛容さが問われているという面もあります
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