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今週のテーマ会議番号:2418
有料のご祈祷はビジネスの一種だと感じますか?
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4日目/5日間
働く人の円卓会議
6位
【開催期間】
2008年04月07日より
2008年04月11日まで
円卓会議とは

井上順孝
プロフィール
講演依頼
このテーマの議長
井上順孝 國學院大学教授
円卓会議議長一覧
信仰心はあまりない、そして祈祷も基本的にビジネスの一種と考える。そういう回答が多いわけですが、それで……
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3日目までに届いている投稿から...
月曜:1日目(テーマの背景) 火曜:2日目 水曜:3日目 木曜:4日目 金曜:5日目(リポート完成)
yes 身代わり思想? (noriari・兵庫・パートナー有・35歳)
池を見るとお賽銭を投げたくなる日本人は個人的には不思議なんですが、投げたお金を水で清めてもらうことで厄払いをしてもらう気持ちなんだと理解しています。同じように神様仏様にお金を納めてみる、というのも自分の身代わりとして厄を背負ってもらい清めてもらっているのではないでしょうか。厄を引受け、身代わりとしてのお金を浄化して再生し、また浮世に戻す、ということを生業としている専門職。ゆえに祈祷はビジネスだと考えます。

yes 慣例には逆らえない (IPウーマン・38歳)
子ども達のお宮参りと七五三の時に御祓いを受けました。1万円コース、5千円コース、3千円コースがあり、日本人らしく竹(5千円)を選択。我々夫婦に信仰心は全くなく、御祓いなど受ける気もなかったのですが、お宮参りは双方の両親の強い希望により、そして七五三を重んじる土地柄から、これを避けて通れない雰囲気があり、それぞれ行いました。思えば、何を期待して御祓いを受けたのでしょう? コース選択といい、受けた経緯といい、慣例には逆らえなかったとしか云いようがありません。

yes 善意の喪失 (walk714・シンガポール・パートナー無・32歳)
料金表があって同じ祈祷にも金額に違いがあるのでは祈祷内容にも違いがあるかもしれないと感じます。高い商品の方が、よりよいご利益があるのならビジネスに思います。「お志」で、祈祷をお願いした方たちが自分たちの払える金額を支払うのであれば商業性は感じません。料金表から払える金額を選ぶこととは違う気がします。やはりビジネスだから「善意」だけを頼りにしては成り立たないのかもしれません。

yes 祈祷料が発生するのですから。 (ぷちらぱん・埼玉・パートナー有・45歳)
私は信仰をもっているため、習慣で自分自身で祈るのが当たり前です。なので、それが祈祷師などの人に頼んで祈ってもらうことのほうが特別です。人にやってもらう特別な行為なのですから、ビジネスなんだと単純に思います。

no 神の名のもとに? (ベルビュー・京都・パートナー無・48歳)
対価を求めてご祈祷料を払えばビジネスになると思えます。宮司が神の使いとして行うご祈祷そのものはビジネスであってはいけないと思います。「ご祈祷のサービスを受けるための対価」という考え方をすると、神の名のもとに宮司職の方や神職の方が神や信仰を売り買いしていることになってしまうように思えてなりません。信仰も神もお金で買えるものではないと信じています。

no ビジネスではない。 (marco302・パートナー無・36歳)
厄年を気にする歳になり、このところ毎年厄払いをしてもらっています。「本厄なのに厄払いに行かなかったから、こんな災難にあった」とは思いたくないというのが行き始めたきっかけですが、実際祈祷を受けている間は、神聖なものを感じますし、何よりも「ありがたみ」があります。この「ありがたみ」を感じ安心してその後の生活がおくれる。それが「祈祷」なのではないでしょうか。ビジネスだとはまったく思いません。金額に関しては特に気にしていませんが、決まっていたほうが気軽に頼めます。

no 宗教行事は慈悲の価値観 (誠二・大阪・パートナー無・38歳)
ご祈祷は基本的、信仰の価値観だと思います。その宗教行事の対価は、本来、ご神体に対し拝礼し、花や供物を備えるという観点から考えると、ご祈祷料はビジネスとは考えにくい、私は、宗教の信仰心は低いですが、祈祷することによって心のよりどころ、安定するのであれば、それに見合った、慈悲のこころで寸志を支払うのであればビジネスではないのでは? と思います。
4日目の円卓会議の議論は...
月曜:1日目(テーマの背景) 火曜:2日目 水曜:3日目 木曜:4日目 金曜:5日目(リポート完成)
「祈祷にビジネス以上のものを感じたり、逆に憤りを感じたことは?」
信仰心はあまりない、そして祈祷も基本的にビジネスの一種と考える。そういう回答が多いわけですが、それでも祈祷に向かう心を支えているのは何でしょう。

(noriari)さんは、神仏に「身代わりとして厄を背負ってもらい清めてもらっている」という、なかなかユニークな考えです。もっとも、たとえば雛祭りの源流を考えると、古くは流し雛という形態であり、災いを雛に移しかえて祓おうという発想ですから、実は「身代わり」という考え方は、社会的由来をもっています。

(IPウーマン)さんは、慣例という社会の力を指摘しています。日本人は共同体との調和を考えて行動すると言われるので、個人化した現代社会でも、こうした文化のパターンは一定程度維持されているということになります。

他方、(ぷちらぱん)さんのように、自分自身で祈るのが当たり前で、他人に依頼するなら、それはビジネスとなるだろうという考えもあります。つまりは、他人に頼んだ時点で、信仰とは異なった要素が介在してくるという考えになるでしょうか。

少数意見としては、(marco302)のように、「祈祷を受けている間は、神聖なものを感じます」という人もいます。

祈祷を依頼し、それ相応の金銭を支払うというのは、きわめてありふれた光景です。これをビジネスの一種としてとらえながらも、一定の人が依頼するのは、やはり習慣の力、社会の見えざる力が大きく働いているとからでしょうか。

とはいえ、数百万円という高額な祈祷料になると、強い批判が出ることがあります。また祈祷に行ってそのやり方に落胆したという人もいます。
ビジネス的側面を認めたとしても、やはり批判したくなるような祈祷とはどういうものでしょうか。


逆に、何かビジネス以上のものを感じさせる祈祷とはどのようなものでしょうか。できれば自分が体験したり、知り合いから直接聞いたような事例を示しながら、述べていただくとありがたいです。

井上順孝
國學院大学教授
井上順孝


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