ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第95回 進藤 晶弘さん

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株式会社メガチップス会長 、株式会社メガフュージョン取締役兼代表執行役社長
進藤 晶弘さん
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入社して最初の2年、ものすごく苦労しました
- 進藤
で、ちょっと話をさかのぼりますとね、私は大学を出て、三菱電機に勤めたんですね。で、三菱電機に入って、最初の2年間はものすごく苦労したんです。何が苦労か言いますとね、自分が最初に配属された事業が、一年後に撤退することになったんですね、三菱がやるには小さすぎる事業というのが撤退の理由でした。
- 佐々木
はい。
- 進藤
で、そうしますとね、やはり当時は、何て言うのかな、穏やかだったんでしょうけれどもね、中止をするって決めてから半年間、現場とかは全部なくなったのですが、大卒の3名だけがぽつんと広い事務所に残されたんですよ。でも何もすることがなくて、半年ほったらかしにされました。
- 佐々木
配属先も決まらずに?
- 進藤
ええ。
- 佐々木
出社はするけれど仕事はなし、と。
- 進藤
そうです。しかし、同期の人はみんな忙しくしているでしょう。私は何もすることがなくなっちゃった。それで、8時半から始まったかな。時間ギリギリ門に入って、5時になったらすっと帰る。でも、給料はみんなと変わらずにもらえる。すごく違和感を覚えた。
それで、1カ月は真面目に勉強しましたけれども、だんだん小説から週刊誌に代わり、最後は夏だったので、誰にも見られない昼寝の場所を探しに歩き、上半身裸になって時間つぶしに昼寝するとかね。そういうような、もう目的のない生活を半年過ごしました。この時目的のない時間を過ごすほど苦しいことはないということを嫌ほど味わいました。
それで、もうたまらなくなって、実は辞表を書いたんです。私の1つ上と2つ上の人と、3人で、辞表を書いて出したんです。そうしたら、初めて会社が慌てまくってね。振り返ってみますと人生で一番苦しい時期だったと思います。
- 佐々木
それまでにも会社は何も? 何だったのでしょう(笑)。
- 進藤
まあ、ある意味ではいい時代だったんですよね(笑)。で、その時に1回辞表書いていますので、それから、辞表を書くことには抵抗がなくなっていたのでしょうね(笑)。
それで、慌てて会社が決めたのが、私は1年しかやっていないのですが、自分たちが開発した技術を、当時のミノルタカメラに技術移管をする、ということだったんですね。技術を売ったんです。だから、あなたたちは移管して来いということで、出向させられたんですよ。確か半年の期間だったと思います。豊橋に行き、木賃宿から通いました。
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