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金子 奈緒さん
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慶應義塾大学には、自己推薦で
- 金子
英語なんかは、最初に、論文なんかでも結論から書きますでしょ? 「何々は正しい」とか。たぶん、それでアナウンスの原稿なんかも、自分で書くのが、主張するのが好きだったんでしょうね。
- 佐々木
好きだったのね? それが、いい方に転じていって、高校で3年間放送をやった後、大学でも続けられたんですよね?
- 金子
自己推薦で慶應に入ったんです。今でさえすごく増えたけど、AO(アドミッションズ・オフィス)です。何のアドミッションズ・オフィスだったかっていうと、やっぱり、放送をずっとやっていたっていうことと、あと、中高まですごくまじめで、結構勉強ができたので、その評定平均。懐かしいですね、響きが。でも、それがわりとよかったので、それで通って、出してもらえたんですね。
で、そういう子が入ってくると、もう情報が先に先輩方に伝わっているんですよ。「今年のAOでは、例えば花火師の子がいる」とか、「すごい、科学者みたいな子がいるらしい」とか。で、私の場合は、それは「アナウンスの勉強をやっていたやつがいる」っていうことで、もう、アナウンス研究会の先輩が黙っていなくて、すぐ探し出されたんです、入学して間もなく。
知らない人が来て、いきなり「金子さんですよね?」って言うんですよ。で、「確かにそうですが……?」って言ったら、「いや、研究会なんだけど、今、僕達のキャンパスは、できたばっかりだ」と。で、「できたばかりだから、そういうのを助けてほしい」って言われて、「じゃあ、いいですよ」って入ったんです。でも、わりとすぐ、つまらなくて辞めちゃったんです。
- 佐々木
中高のようなスパルタもなく、指導者もなく。
- 金子
そう。あまりに温かくて、やめちゃったんですけどね。
- 佐々木
ビシビシ系が好きなのね、きっと。
- 金子
はい。そうかもしれないです。放送部、本当に厳しかったんですよ。緩いと思って入ったら、意外に。先輩より先に座れなかったし、ドアは絶対開けなきゃいけなかったし。掃除も全部。宝塚みたいだったんです、入ったら。
- 佐々木
それが好きだったんだ。
- 金子
わりとね(笑)。
- 佐々木
それで、辞めて、何してらっしゃったんですか? 大学時代は。
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