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菅家ゆかりさん
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子どもだけの東京生活
- 佐々木
叔父達が独立って、どういうの(笑)?
- 菅家
東京で兄弟が合宿生活するときに、叔父達に見張り役として一緒に住んでもらっていたんですね。で、叔父達が、もう……。
- 佐々木
「もういい、大丈夫」と。
- 菅家
「子ども達も大きくなったから、いいだろう、俺達は」って言うんで、叔父夫婦がそこから離れまして、子どもだけになったんですよ。
- 佐々木
それは何歳のときに、どういう人数だったんですか?
- 菅家
たしか、上の兄弟が大学になったときに、叔父達は「もう大丈夫だろう」っていうので。年子だったので、大学1〜2年とか、そんな感じだったんじゃないですかね。
- 佐々木
大学1年、大学2年に、高校3年に、高校2年に、みたいな?
- 菅家
そうですね。で、10年の間に5人いますから、もう次々に出てきますよね。私が出てきたときは、上の兄はもう就職していたので、そこにはいなかったんです。一番多い時で、上がいなくて4人合宿生活で、私が入ったっていう感じですよね。子ども達としては、合宿生活と同じなので、寂しいとか、そんなことは全然なかったですけど。
- 佐々木
でも、それは親が決めたことなんですよね? きっとはじめは。
- 菅家
いいえ、皆、子どもが行きたいと思ったんじゃないですかね。
- 佐々木
子どもが行きたいと思ったって、中学や高校で、そんなに一人で暮らせないでしょ? だってね。
- 菅家
たぶん、地方の高校っていうのは、ごく近い所でも通学に時間がかかったりしますので、うちの兄達も、どうせ地方の高校に行くにしても下宿しなきゃいけない。だったら、いっそ東京に行った方が、先に、もっと道が広がるんじゃないかというので、たぶん父が「それならそれでいいだろう」という風に始まったんだと思うんですけど。
- 佐々木
上の4人は、男性? 女性?
- 菅家
上に2人ずついるんです、姉と兄が。まず期待をかけて、長男。
- 佐々木
期待をかけて出したんだ。お父様はどんな仕事をされてたんですか?
- 菅家
地方公務員で、母は主婦で家事をしていたので、特に資産がたくさんあったわけでもないですし。最初にひとり、次にひとりと、皆、我も我もという感じで5人とも、東京に出ちゃったんですけど。
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