ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第72回 中西 弘子さん

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中西 弘子さん
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夫が「辞表、出してきたから」と、一言
- 佐々木
会社員だった夫から、突然、「辞表、出してきたから」とか「新しく事業をする」といっても、すぐに「分かりました、全面サポートします」とはいかないこともありそうなのに、中西さんは、すぐさまサポート。その頃は、お子さんも小学生と幼稚園生だったとか。
- 中西
そうなんです。でも、夫が一度言い出したら後には引かないことはわかっていましたし。
- 佐々木
ご実家が大阪で輸出向け工具を製造されていたりして、事業の難しさをみてきたからこそ、結婚相手は会社員を選んだ、なんて聞きましたが(笑)。
- 中西
そうなんですよね。サラリーマン家庭なら安定できると思ってましたよね(笑)。でも、辞めてきてしまったので、手伝うしかないですよね。夫は、商社時代の取引先を訪ねて欧州を歩きました。
- 佐々木
でも、今がある、ということは、じきに時代とうまく合ってきた、ということですね。
- 中西
そうですね。1年後にデンマークのコンパン社の屋外遊具の輸入販売業を始めたんです。子どもの発達段階をいろいろ研究して作り上げられた幼稚園・保育園、公園など向けの木製遊具の販売です。当時はまだ、鉄製の遊具が多かったわけですが、木のぬくもりやデザインが評価され、高価なものだったのですが、軌道に乗ったんです。
- 佐々木
それで、中西さんのお仕事も増えていった。
- 中西
始めは、総務などの仕事から手伝い始めたんです。娘たちが小学生になると週3〜4日のパート。その後、二人が中学にあがるとフルタイム、といった感じですね。
- 佐々木
楽しかったですか。
- 中西
専業主婦の時代は、世の中の情報がみんな夫経由なんですよね。でも仕事を持って、社会とつながった感じがしたのを覚えています。
- 佐々木
よく分かります。それにしても、パートから社長へのスピードが速かったですね。
- 中西
いえ、夫は会社を2つ、屋外遊具を扱う会社と、小売店を中心に展開する会社と、両方になっていたんですね。で、その両方一度に、っていうのは結構大変なことだったんですね。それで主人が体調を壊したものですから、じゃ、ひとつ、私の方が何か手伝いをしましょうということで、実は始まったんです。で、ボーネルンドの方は、ご存じのように、一般のお客様がとても多い。細かい仕事もいっぱいあったものですから。
- 佐々木
母親としての、経験も活かせる、と。
- 中西
ええ、それで引き受けたわけです。
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