ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第68回 服部 幸應さん

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服部 幸應さん
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初めてのテレビ
- 佐々木
何がきっかけだったんですか? 一番最初は。
- 服部
今から26年前かな、1980年ごろに、今のテレビ朝日の、『日曜ビッグスペシャル』というので石原軍団に、2万人のカレーを作ってくれって頼まれたわけ。
大きなプールみたいなのを作るから、それをこう火をいれて、カレーの具を入れて作ってやってほしい、って言われて、ホテルニューオータニの前あたりでやったんですね。
- 佐々木
それが初めてですか。
- 服部
初めてっていうか、たまには料理番組の協力はやっていたけれど、本当に自分が出かけていって、うちの教師とか助手を使ってやったのは初めてなんです。そのときに、いわゆるNHKでお料理を作ってくださいとかいうのとは違う、エンターテイメント性が出ていた。今があるのは、そのとき協力してくれた人のつながりなんですよね。
今、週にレギュラー番組が9本あるんです、うちの学園で。ぼくが出ているのはその内の2本くらいですけれど。徐々に出ないようにしているんです。
- 佐々木
先生のこの服装も、やっぱりトレードマークとしてお選びになったのですか?
- 服部
これ始めたのは、そんなになっていないですね。16、7年ですね。途中からね。
- 佐々木
やっぱり、おしゃれな雰囲気を出すために。
- 服部
自分に個性がないのは分かっていたから、何かね。いや、白衣着てたら誰だか分からないですよ。それで、白衣を真っ黒にしてみて、着てみたら、ああ、ぼくはどちらかというと首が太いから、見えないほうがいいのかな、と思って、自分で作ったんです。
そうしたら、ベストドレッサー賞を1995年にもらえちゃったんです。翌年に、今度はぼくはそれまで眼鏡をかけていなかったんですけれど、なんかメガネはしたくなかったのです。そこで目立たないメガネがほしかったので探しにいったら、小判型は女性用しかなかったんです。そこで小判型にするために、レンズを大きくカットして作ってもらったわけです。かけてないイメージにしたいので、ふちのない透明のって。そうしたら、眼鏡ベストドレッサー賞をもらったわけです。なんかそういうふうにね、一つ一つがみんなつながっていったんです。
- 佐々木
やっぱりご人徳もあるし、食が地味といわれていた時代から、先生の工夫で多面的に華が添えられてっていうのが。
- 服部
もうなんかしなきゃいけないっていうのがあったね。
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