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フリーダイビングトレーナー・アプネアフォトグラファー
菅原真樹さん
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子どものころ、人間としての核となるものを教わった
- 佐々木
菅原さんの価値観、時間の使い方、自然とのふれあい方、幸せという財産の作り方が、とってもよくわかるんですが、ずっとお話していて、生い立ちも気になりました。言葉遣いも丁寧でいらっしゃるんですけれど、小さなときからの教育なのか、お人柄なのか。どんな子供時代を?
- 菅原
私は、関西の西宮で生まれました。父は公務員で、母も地方公務員で調理師をしていました。
- 佐々木
泳ぎは小さい頃から?
- 菅原
私の小学校の近くには武庫川っていう川があったり、すぐ海があって。そんな泳げるような海ではないんですけれども、学校が終わってからすぐに、時には学校の授業ほっぽりだして遊びに行ってましたね。泳ぎは自分でですが、小さなときから結構いろんな習い事もさせてもらってたんです。絵とか音楽。
- 佐々木
音楽とは、ピアノ?
- 菅原
総合的なものでしたが、オルガンだとかリズムとか。リズムのほうも非常に興味があったので、ドラムもやってました。いま考えると、自分の人間としての核となるものを、子どものときに教わったような気がしますね。自分自身、小学校のときに、かなり今の自分の方向性というのを決めてしまっていたようなところがあると思います。
小学校1年生の時から空手も習っていたんですが、その先生には、空手だけでなく、年何回かはハイキングに連れて行ってもらったりしました。社会的にこれからやっていかなきゃいけない基本になるものをいろいろと教わったと思うんですね。
- 佐々木
空手、ですか。でも空手だけに特化しないで総合的に子どもの指導をしてくださった先生だった。
- 菅原
そうですね。その先生が入っているスポーツ少年団という全国的な組織があったんです。リーダーシップを形成・育成するようなそういう組織なものですが、先生には僕が将来的にリーダーシップを取れるような人間になってほしいという思いがあったみたいで、小さいときからいろいろな研修に積極的に出させてもらいました。
それが地域での研修から始まって、だんだん大きくなって西日本、全国大会というふうに広がっていったんです。そこで仲間と知り合って、将来リーダーシップを取るためにいろいろオリエンテーリングだとか、ディスカッションとかするわけですね。
- 佐々木
小学校1年から何年くらい空手を続けてらっしゃったんですか?
- 菅原
高校までずっと教わっていました。出る大会はほとんど全て3位以内に入ってましたね。
- 佐々木
空手も、そんなに強いんですか!
- 菅原
組み手といって2人でコンタクトする、そういうファイティングするものも得意だったんですけど、それ以上に1人で演舞する型が得意でした。武道は非常に奥が深いですね。そういうものに通じる呼吸法だとか基本的なものを、小さいときから習ったような気がするんですね。
- 佐々木
その、芯のしっかりした、丁寧な性格というのは、ご自身で振り返って、どういったことで育っていったのでしょう? ご自分の素質とか、あるいは家庭環境もありますよね? だって、同じ先生に習っている子供たちは他に大勢いたとおもうのですが、同じ教えを受けても、全員が身に付けられるものでもない。なにが違ったと?
- 菅原
大人の方から「こういうこともできるよ」というかなり幅の広い方向性を示してもらえたと思います。「あなたはもうこれしかないのよ」「大学を出て、こういうような道しかない」「親もそういう道を歩いたんだから」っていうような、そういう指導ではなくて、うちの母も父も、人に迷惑をかけないようにすればいいから「自分で考えなさい」という人でした。
まあ、小さいときにコアな部分は非常に厳しく、優しくしてもらえた部分もあると思うんですね。
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