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アナウンサー・ビジネスコミュニケーショントレーナー
山口容子さん
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もがき苦しんだ香港での4年間
- 山口
だってね、大好きな仕事は辞めるわ、初めての海外暮らしだわ、乳飲み子を抱えてるわ……。住んだのがハッピーバレーのマンションだったので、まわりは日本人が多かったんだけど、専業主婦で、アイロンがけが上手で、「今日はこんなケーキ焼いてみたから、お茶に来ない?」なんていうお母さんばっかり。今でも「香港同窓会」があって、たまに会う楽しい仲間なんだけど、当時はわたしだけ場違いって感じで。なにしろ、アイロンは死ぬほど苦手だし、ケーキは焼くより食べるほうが好きだし。だから、3日で後悔した。
- 佐々木
なんで、テレ朝、辞めちゃったんだろうって?
- 山口
というより、なんでこんなに切ないんだろうっていうのがね、わからなかった。
しばらくして、なにかの本で「喪失感」という言葉を見つけたの。その時「ああ、この切なさの正体は、これだったんだ」と。その言葉が見つかってからは、少し楽になった。その3文字が見つかったから、じゃあ、これからどうするかっていうのが出てきたのよ。でも、泣きましたよ。
- 佐々木
今みたいに電子メールがある時代じゃないしね。
- 山口
会社も辞めたわけでしょ? 知恵を働かせれば、休職扱いにしてもらうとか、香港大学に留学するとかね、退職しなくても道があったかもしれないんだけれども。まあ、もがき苦しんだ時期でした。
だから最近、わたしの知り合いで同じような仕事をしている女性が、ご主人の赴任で北京へ行くことになったのね。もう声が枯れるほどアドバイスしましたね。「絶対に自分からはネットワークを断ち切らない!」「むこうからできる情報発信は必ずする!」って。だから彼女はネットで1週間おきくらいに情報を送ってきます。
- 佐々木
素晴らしい。
- 山口
こういうことは、今だからできるという側面もあるけど、わたしの時だってやろうと思えば何かしらできたわけでしょ? しょっちゅう一時帰国していたんだし、顔つなぎでご挨拶に行くとか、できたはずなんだけど、すごくテレ屋で、今さらノコノコいけないじゃないっていう引っ込み思案なところが、実はありまして。
だから、みんなね、わたしが相当長いこと海外を転々としてたような、「確かどっか行ってるよね、長いこと」ってそういうことになってたの。
- 佐々木
音信不通状態だったのね。じゃあ、戻ってきたのは、94年? 95年?
11/20
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