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織作 峰子さん
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掃除、洗濯、ご飯炊きの毎日でした
- 佐々木
で、写真の道に入ったわけですが、写真の勉強をするために、ちゃんと、ミス・ユニバースのお金も貯めて、これからの修行の無給生活の準備されていたように、聞こえましたけど、それから、どういう生活に入っていったんですか?
- 織作
それからは、弟子入り。掃除、洗濯、ご飯炊きの毎日でした。丁稚みたいな感じですね。
- 佐々木
そこからするんですか?
- 織作
住まいは別ですけれども、ご飯を朝昼晩3食、全部我々弟子たちが作るんです。で、先生と一緒に、皆で食べる。
- 佐々木
弟子は、他にもいらっしゃるんですよね?
- 織作
そうですね。多いときは、3〜4人いました。皆で朝からスタートでしたから、8時には、もう事務所に行っていました。で、ご飯で、お掃除して、植木に水を撒いて、それからスタート。で、終わるのも11〜12時ぐらいで、私は自転車で通っていましたけれども、皆は終電で。
- 佐々木
そういうのって、今もそうなんですか?
- 織作
今は、おそらくそういうところはないと思います。最後だったと思います。私のスタジオと、秋山庄太郎先生のスタジオが、その時代です。
- 佐々木
変な質問ですが、やっぱりカメラマンになるためには、そういう修行から入るのが重要なことなんでしょうか?
- 織作
いや、いろいろな方がいますよ。私は、出会ったのが大竹先生だから、ストレートに大竹スタジオに入って、そういう世界なんだと思ってやっていましたし、外に出る機会がほとんどなくて、電話の応対とか、アシスタントでストロボをセットしたり、レフ板を持ったり、先生の撮影に同行したり、そういう生活でしたから、外界を全然知らなかったんですよね。だから、そんなもんだろうと思っていました。それにしても厳しいな、というのが実感でした。
- 佐々木
じゃあ、カメラを持たせてもらう、なんていうのは、すごく時間のかかることだったんですね。
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