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藤原和博さん
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第三者がなぜいいかというのは
- 藤原
利害関係のない第三者がなぜいいかというのは、結局、その子の人生のすべてにコミットする必要がないからですよ。親はコミットしなくちゃならないし、学校の先生も3年間はコミットしなくちゃならないと思うから、できないと叱っちゃうでしょ。
例えば、「よのなか科」のような授業でも、最初、あんまり意見が言えない男の子がたくさんいる。それでも、なんとか、ワークシートにひらがなで全部書いているのを見て、先生って注意しちゃうわけですよ。「できるだけ漢字で書きなさい」とか言って。それは余計なお世話なの。そうじゃなくて、意見を書こうとしている努力自体を褒めてあげないとね。100人の生徒に対して、なぜ和田中の[よのなか]科は30人、50人の大人、利害関係のない大人を入れるかというと、利害関係のない第三者だとね、褒めてくれるだけなんですよ。「それいいね、もっと聞かせて」とか、「いいじゃん、ひらがなでもいいから、全部書いちゃいな」とか。適当にいい加減なのがいい。
佐々木さんはどうだったか知らないけど、俺なんかも父が裁判所に勤めていた堅い国家公務員だったから、父からは大概は否定されたわけ。それはダメだとか。でも父には兄弟が5人いて、弟が2人いたんだけど、そのうちの末っ子の叔父さんが、ちょっと柔らかい人で、いい意味でいいかげんね。「いいじゃん、それ、カズ君、やっちゃったら?」みたいにね。お年玉を余計に渡してくれて、「やっちゃえばいいじゃない、いいじゃない、何がいけないのかな」って。
そういうふうに利害関係がない第三者は、その子の人生にコミットしなくても済むという気楽さで、勇気づけるんですよ。これが大事、これが。たぶんね、読者もみんな経験あると思うんだけど、自分のお父さん、お母さんではなく、おばあちゃんが「お前ならできる」って認めてくれたとかね、おじいちゃんが「やれよ」って言ってくれたとか、そういうことで、その道についたとか、その道を極めたとか、その道に向かって走り出したという人が多いと思いますよ。親じゃないんじゃないかな。
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