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藤原和博さん
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変わったと思います
- 佐々木
聞き手のための構成をしていないとか、そもそも声が出ていないとか。藤原さんが校長になられてから、教員もやっぱり変わりましたか?
- 藤原
変わったと思います。実は僕が少し驚いたことがあるんですね。それは教員というのは、基本的に話す訓練ができているので、校長とか教頭よりも、よっぽど話がうまい人が多いということ。目の前の小学生だったり中学生だったりに分からせなくてはいけないからですよね。
例えば、運動会がありました、その後に打ち上げやりますと。飲んでいない場でも、ちょっと一言ずつ言ってよね、みたいな場をつくると、実に物語るテクニックがある人が多い。しかし、現場から離れて教頭、校長となって、管理職になっちゃっうと、そのことを忘れちゃうんじゃないかな。もしくはね、お話がちゃんとできる人が生徒をつかんで、ずっと教員でいる。ずっと教員の方が居心地がいいので、たぶんそういう人が校長になっていないのかなって気はするね。教員は比較的話がうまい人が多い。それは僕もビックリした。企業でバッと新人を前に、スピーチやれみたいなとき、あるでしょ。教師はけっこうやるよ。
- 佐々木
それはそうかもしれないですね。
- 藤原
実際、日本って、「みんな一緒」の世界から、「それぞれ」という世界に移行していっているわけですよね。「20世紀の成長社会」から「21世紀の成熟社会」に移行しちゃっているわけなんだけど、最大の違いは、隣にいる人が自分と同じことを考えているとは限らないという、あるいは、目の前にいる人が、あなたが自分のモードで話したときに、それを理解するとは限らないということ。
それがまだ勘違いされていて、「あ・うん」で分かってくれるはずだとか。仮に上下関係があれば、こちらに権力があれば、聞いて当然だとか。そういう勘違いが、ものすごくあるんじゃないかと思う。だから夫婦でも話さなくても分かるはずだとか、親子でも分かって当然、従って当然だという気持ちがある。でもこれは完全に崩れていっているわけですよね。そのことに戸惑っちゃって、いまだに前時代の頭で語っている人が多いんじゃないかな。
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