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藤巻健史さん
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サラリーマンしかないと
- 佐々木
大学は、確か商学部でしたよね。だから、ビジネスに進むことは決めていた。
- 藤巻
というかね、当時って、親父もサラリーマン。親父は東芝だったんだけど、普通、学校を出たら、サラリーマンしか人生ないものだと思ってたからね。今みたいに、もっと自由に選択のある時代じゃなくて、要するに、生きていくためにはサラリーマンしかないなと。
画家とかそういうところで特別な才能があったり、自分のうちで店をやってたり会社をやっているとかなら話は別だけど、そうじゃない限り、サラリーマンしか選択の余地がない時代ですから。だから当然サラリーマンになると思ってたよね。
理系に行くほど数学ができないから文系に行って。東大に入れないから一橋に行って、一橋に行っちゃうと銀行か商社しかなくて。商社が駄目だから銀行に行って。こういう話であって、積極的に銀行員になろうとか、そういう話ではなかった。二者選択をしていくと、銀行員にたどり着く運命だったわけですね。
- 佐々木
ガンガンと、「金融だ!」と言ってつかんでいったというよりも。
- 藤巻
流されて、それしかなかった、そういう岐路が。結論としてはね。
- 佐々木
銀行に入ったときに、または一橋に入ったときに、自分としては何となく腑に落ちないというか、本当はもうちょっと、という気持ちだったんですか。
- 藤巻
それはなかったですね。一橋に入った後、祖父が行った学校というせいもあるかもしれませんが、大好きになりましたよ、あの学校。確かに東大コンプレックスは残っていたかもしれない、僕の高校からは大多数が東大に行ってたから。でも、まあ一橋ならOKかな、と。
- 佐々木
それは、贅沢です。一橋で嫌だって言ったらね。
同級生がみんなが東大に行くと、それこそ東大に行かなかったら、もう人生が終わりみたいな精神状態になる人
もいるけれど、そんなことはなかったんですね。
- 藤巻
うん。それは東大を受けて落っこちたわけじゃないから。佐々木
そうか。入試が実施されなくて、受けられなかったんですものね。
- 藤巻
それは現役のときの話です。浪人してからは敵前逃亡です。
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