ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第108回 宮嶋泰子さん

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宮嶋泰子さん
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父親とすごくいろんな話をしていました
- 佐々木
少し、宮嶋さんご自身の事をお尋ねしたいんですけど。すごく大家族で育ったって読みました。
- 宮嶋
はい。いわゆる本家なんですよね。私は長男の子どもなので。私には妹と弟がいて、これに父母で5人でしょ? で、本家だから、これに、おじいちゃんおばあちゃんがいて7人。さらに、父の兄弟がいるわけですよね。父が長男で、次男、三男、長女、私にとっては叔父叔母ですね。それに、大ばあちゃん曽祖母がいて、合計11人。それに、うちは土建屋と材木屋をやっていたので、職人さん達が食事をしに来たりするので、母はすごかった。食事は2回に分けて準備していたという状況でした。「寺内貫太郎一家」か、「ただいま11人」かというほどテレビドラマを地でいく大家族でした。
- 佐々木
その大所帯で、どういうふうに育てられたんですか? たくましく育っていったっていう感じですか?
- 宮嶋
ええ、たくましく。全然過保護じゃないですね。ただ、私は父ととても仲がよかったんです。中学、高校と、父親が晩酌をする時に横に座って、いろんな話をしていましたね。それから、父親が出張で、材木の買い付けとかで九州に行く時にも、一緒に連れていかれたり。だから、とても父親っ子、パパっ子ですね。
- 佐々木
3人の子どもの中で、男の子もいたのに、泰子さんを連れて行った。
- 宮嶋
私が一番年が上で、連れていくのにちょうどよかったんでしょうね。仕事のパートナーというか、父親の仕事の手伝いを、とてもよくしました。製材の手伝いとかも。
そうそう、変な話があったんですよ。お小遣いを稼ぎたいというのもあって私が、「パパ、何か手伝うこと、ない?」って聞くと、「じゃあ、これをここに持っていくのを一緒にやろう」と父は仕事を作ってくれるんですね。自宅の横にある工場で作業をしていたんですけれど、夜8時頃ですかね、バス停を降りて歩いて家に帰るサラリーマンの方が私が仕事をしているのを見て、「子どもに労働させちゃいけない。訴えるぞ」って投書してきたんです。
- 佐々木
それは何歳のときですか?
- 宮嶋
小学6年生ぐらいだったんだろうと思うんですけど。よくお手伝いはしていました。日本手拭いを頭に巻いて、一緒に、材木を束ねるのを手伝ったり。でも、私は、子どもが家の手伝いをするのは当たり前だと思うんですよね。
- 佐々木
私も、小学生のとき、父のクリーニング店を手伝ったりしてました。
- 宮嶋
家での手伝いや、靴を磨いたりする延長線上だし、うちが商売をしていたら店番をしたりとかするでしょう。
- 佐々木
それを、幼児労働だと(笑)?
- 宮嶋
そう。児童虐待って。
- 佐々木
でも、すごいですね。その手紙を書いた人も、40年くらい前でしょう。その頃に手紙を書くんだから随分時代を先取りしている(笑)。
- 宮嶋
それで父親は「そんな事を言われるなら」って、前に全部材木を立てて、見えないようにして、それで手伝わせてくれたけれど(笑)、私にしてみれば、100〜200円のお小遣いをもらえるのが嬉しくてやっているわけだし、それをやって父親と話をしているのがすごく楽しいから。
- 佐々木
お父さんは、何の話をしてくれるんですか?
- 宮嶋
父親は、一応、早稲田を出て、文学青年だったんですよね。だから、本当にいろんな話をしましたね。何を覚えているわけじゃないんだけど、ちょっとした本の話とか。
- 佐々木
本の話から、仕事の話から。じゃあ、お父さんの影響をすごく受けたんですね。
- 宮嶋
すごく受けていますね。だから異様に独立心が強い。私は、結婚式の時も、全部自分で貯金して。
- 佐々木
結婚資金も指輪も、全部ご自身で? 旦那は出さなかったんですか?
- 宮嶋
あれ? どうだったのかなあ。自分で出したお金のことは覚えているんだけれど、(笑)。
- 佐々木
そういえば、うちも……。
18/24
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