ホーム > 佐々木かをり対談 win-win > 第100回 篠原 欣子さん

100 |
篠原 欣子さん
|
|
|
私の住まいを会社にして始めたんです
- 篠原
そうです。私が始めた1973年当時は、7人の発起人が必要だったんですよ。そして資本金が100万。
- 佐々木
私の時も7人だったと思います。資本金は300万でしたけど。
- 篠原
兄に言うと怒られちゃうから、母や兄の奥さん、その両親とか、親戚のおばさんとかに「すみません……。これに判子を押してください」って、菓子折りを持ってお願いに行ったんです。で、向こうは「何をやるんだか知らないけど、菓子折りももらっちゃったし、三文判だったらいいか」ぐらいに押してくれて(笑)。それで、六本木に住まい兼会社として始めたんです。
会社を作って社長になってやろう、なんて気概はなくて、「必要な時に人が来てくれる、ああいう便利なシステムっていいな。あれをちょっとやってみようかな」と思って。
それに、当時の日本は女性が活躍できる環境じゃなかったんですよ。オーストラリアでは、女性の役員とかスーパーバイザーとかがいて、すごく皆イキイキとして働いているわけ。それに、レディファーストの国ですから、
社長がドアを開けてくれるとか。そんな環境だったので、一つひとつが楽しかったんですね。
でも、日本に帰ってきたら、女性が活躍できる環境じゃなくて一生懸命働いてもつまらないな、なんて気持ちになったんです。
- 佐々木
それを、つまらないなと思うということは、やはり何か、「上のポジションに行きたい」という気持ちがあったんですね。 それとも、「これから先もこの仕事には変化がないだろう」という「つまらない」なんですか?
12/22
|
 |
|
|