
産地に行ったらぜひ食べてみたい(月の猫・神奈川・38歳)
食べたことが殆ど無いので、食べたいです。特に、産地で食べたい。そういう意味で、地産野菜を食べたいというのと一緒かもしれません。産地ではありませんが、ご贔屓の小料理屋が、各地の名産の品を数は少ないながらも提供してくれます。「今日は何が食べられるだろう」とワクワクしてしまい、毎月通うことになっています。独自の流通ルートを持ち、小さい店ならではの少量仕入れ。旬を逃さない(旬を過ぎたらメニューを変える)姿勢の店を見つけられたことは、幸運だったと思っています。
おいしさは、食べ物の外にもある(あるす・神奈川)
美しい川と森のそばで暮らしていたときは「川魚」としてでなく、単にそこで生きている魚や植物を食べたいと思いながら食べていました。おいしいからです。街なかに越してくると、どんな場所でとれたものなのか、養殖かもしれないし、新鮮かどうかもわからないので、食べたいけれどためらってしまいます。いつでもどんなものでもどんなところにいてもおいしく食べられるわけではないのだと、改めて感じます。おいしさというのはその食べ物そのものの中だけにあるのではないのだと思います。私はうぐいは骨が多すぎるし臭みがきつくて苦手ですが、どうにかして美味しく食べる調理法を探るのも川魚の楽しみかもしれないですね。
生臭くない川魚を食べてみたい(小林哲之・東京・パートナー有・37歳)
幼少時、叔父がすぐ裏の河で鯉を捕ってきて料理しました。捕ってきて即座に生きたままさばいていたにもかかわらず、非常に生臭く、近づくことすらできませんでした。その日から、数日間、台所に入れなかった程です。それ以降、川魚はどうしても生理的嫌悪感が先に立って、食べることができません。海魚は、最近やっと少し食べることができるようになってきました。いずれ、川魚を旨いと思って食べれるようになりたいと思います。あの生臭さを旨そうと感じるようになりたいという意味ではありません。生臭くない川魚というものを食べてみたいと思っています。でも、怖いです。
虹鱒の思い出(Reiko・東京・パートナー有・32歳)
小学校低学年の頃、父の会社の同僚と家族で行った川キャンプで食べた虹鱒は、本当に美味しかった。味そのものよりもシチュエーションが美味しさの最大の理由であるとは思うものの、その思い出があるので、今でも川魚は美味しい食べ物という意識がある。
新鮮な本物を食べてみたい(ok)
鮎も仲間でしょうか? 小さい頃、ピチピチ跳ねている魚をつかみ取りして、河原で焼いて食べたことを懐かしく思い出しました。新鮮な有毒物質に汚染されていない本物を是非食べたいものです。
子どもの頃に鮎を食べた場所(roumicot・愛知・パートナー有・38歳)
はじめまして。私は長良川の上流域で子ども時代をすごし、夏は普段のおかずとして鮎を食べてました(近所のおじさんたちからいただくのです)。あの香りは夏の川の香りそのもの。川で遊んだ子どものころを思い出します。アマゴやマスも大好き。ただ残念なことに河口堰ができてから鮎が減っているようであまり釣れないと毎年のように聞きます。心配です。ランチで川魚、いいと思います。街中ではなかなか気軽には食べられないですものね。