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サーベイ

2004/11/15(月) - 2004/11/19(金)
1日め:テーマの背景 | 2日め | 3日め | 4日め | まとめとリポート
4日め

テーマ不登校生は、落ちこぼれか?

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凡例
キャスター
一色真司
一色真司 代々木学園代表

みなさんコメントありがとうございます。不登校経験者の方々からも、賛成、反対、両方の意見をいただきました。 ありるさんのように、「自分で克服したから、いま堂々としていられる」という意見も、困難を克……

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これまでに届いているメンバーからの投稿

YES

それなりにやっている、というのも個性の1つ(柚花・東京・パートナー有・27歳)

落ちこぼれという言い方はしっくりこないけど、普通ではないと思います。ただ、現在「個性」とか、一芸秀でていたらそれでよい、みたいな風潮を感じますので、その観点からいえば、不登校の子は、落ちこぼれというよりは、出ている杭なのでしょう。

いろんな世界があるというのは確かですが、平均的にそれなりにやっているということも個性であり、よい点だということも、一面では忘れて欲しくないです。

むしろ家庭環境が問題なのでは?(Bise・東京・パートナー無・38歳)

私は未婚、子供ナシなので、言いたい放題をお許しください。でも、不登校はやっぱりよくないと思います。イジメにあって辛い思いをしていらっしゃるお子さんは仕方がないとして、ただ友達関係が難しかったり、勉強がイヤだったりで登校しないのは、精神的な成熟度に問題があるのではないかと思います。

今のお父さん、お母さんを見ると、子供にすっごく甘いような気がしてなりません。電車の中で大迷惑のお子さんたちを放ったらかしていたり、欲しいものをなんでも与えていたり、これではイヤなことがあっても耐えられる子供にはならないんじゃないか……と感じます。不登校生を「落ちこぼれ」と呼ぶのは気の毒で、むしろそうさせてしまっている家庭環境に問題はないでしょうか?

現実を認め、別の生き方を探せと促してくれた両親(ありる)

不登校経験のある者として、あえてYESです。

「落ちこぼれてしまった」という意識は、周りの見方より、むしろ不登校児自身の方が強いと思います。周りの目より、自己嫌悪の方が強く自分をさいなみます。周りの見方は、その自己嫌悪を確認する二次的なものでしかありません。

むしろ、落ちこぼれたという自覚は受け止めてやった上で、「落ちこぼれたら、やり直しがきかないか?」、「決して落ちこぼれてはいけないのか?」、「落ちこぼれたら、どう生きていったらいいのか?」の問いにきちんと答え、その上でサバイバル術を共に考える方が実質的な気がします。「あなたは落ちこぼれではないよ」と言われても、実際、「学校に行けない自分」の肯定にはなかなかつながりにくいのではないでしょうか。

私は、「学校へ行けなくても生きていける」ということを、親に淡々と教わりました。共に大卒の親です。それを言うのはどんなにか勇気がいったでしょう。そして、「学校に行かないなら、行かないなりの生き方をきちんと探せ」と申し渡され、家にこもることは許されず、毎日外出してはいろんな現実を見て歩きました。学校に行けていたら見えなかった光景を、たくさん見ました。そして、結局「学校」というのがどんなに恵まれている場所かを自覚し、辛くても戻ることを選びました。こうした短期エスケープは、高校で1度、大学でも1度経験しました。

「私は落ちこぼれだけど、生きる道は自分で探す。学校から落ちこぼれても、受け皿はほかに探していい」。学校が世界のすべてだった者にとっては、天啓でした。あのとき「あなたは落ちこぼれじゃない。学校なんて行かなくていい。」と言われていたら、私はこんなにも堂々と自分を肯定できただろうか? と時々思います。

NO

存在を認めてほしい、話を聞いてほしい(kiitos・東京)

まず、「落ちこぼれ」という枠は、どういう状態のことを指すのでしょうか? 学校に登校しないことがよくない……ホントにそうなんでしょうか?

私は中学時代、不登校生でした。突然、学校がばからしくなり、やってらんなくなりました。部活に熱心になりすぎて成績が悪かったことを反省し、必死に勉強し成績を上げたらいじめを受けました。教師はその状況を知りながら、私を気にかけて声をかけることもなく、逆に「成績がいいからあの子は問題ないだろう……」と暗黙の了解。毎日がとてもばからしくなり学校に行かなくなったら、「授業も受けられない生徒に部活などやらせることはできない」という理由で、突然退部を命じられました。そのときも私の声をきくことはありませんでした。校門チェックでは必ず止められ、耳のほくろをピアスだとさんざん指摘される始末……。

いまから考えると、不登校は私からの1つの信号だったんだと思います。声をかけて、1回でもいいから個別に話を聞く時間を持ってほしかった。先生が忙しくていろいろと大変なのは、その当時の私なりにわかっていたので、たった数分、存在を認めて、目を見て話してほしかっただけなのですが……。「落ちこぼれ」と言われたこともありましたが、「落ちこぼれ」という枠に入れて見過ごすのが一番危険だと、体験者として思います。「落ちこぼれ」という一言でくくられるよりも、本人はもっと深く悩み落ちこみ、どうしようもないいら立ちを抱えています。

24時間「生徒」である「きつさ」(しろりむ)

2日目のまけぞうさんのコメントを読んで思ったのですが、子どもの世界と大人の世界は根本的に違うのではないでしょうか?

たしかに大人の世界も厳しいですが、そこには複数の選択肢がありますよね。会社になじめなければ会社を変わるとか、自営になるとか選べます。でも子ども(特に小、中学生)は、「学校に行く」以外の生き方を選べません。現在の日本では、小、中学校を変わることは実質的には不可能に近い。さらに、大人はたいてい複数の役割を持っています。勤め人としてはイマイチでも、家庭ではよき母だとか、趣味の世界ではいきいきしているとか、どこかに評価される場所を持っている。自分の居心地のいい場所とそうでない場所を往還できる。でも、子どもはそうじゃない。

現代社会においては、子どもは24時間フルタイムで「生徒」です。だから、学校になじめない子どもというのは居場所を完全に失ってしまい、周りが思っているよりも強い落ちこぼれ意識にさいなまれているのではないでしょうか? 子どもにとっての学校というのは、大人社会よりも「きつい」とも思います。

自由に遊び、開放される場が必要(閑人・大阪)

小学校から始まる不登校というのは、学校に自分の居場所がないということなのでしょうか。

いまの小学生には、戸外での遊びの時間が少ない気がします。スポーツクラブとか習いごとではなく、単なる遊びです。都市化と少子化が進んで、学校や家庭以外で、ただで自由に遊ぶ環境が整っていない気がします。多様な人間関係の中で、子供同士で、年令や性別や個人の性格の枠を超えて、自分たちのルールで適当に遊べる場が必要だと思います。学校は、社会性を身につける場ですが、遊びの場は、学校の評価や家庭の問題から、解放され、子供が、自分自身にもどれるところだと思います。そこで、元気をとりもどせば、不登校は減少するのでは?

家族、学校、地域社会全体が目を向けて(イスタンブール・関東・30代)

落ちこぼれ、という言い方はしっくりきませんが、何か心に悩みを抱えてる子供、だと表現できると思います。学校に行きたくない、と思ったとき踏みとどまれるかどうかは、それまでの成長過程に培った心の強さの問題。耐えきれないほどの心の状態だ、というシグナルだと思います。

年少になればなるほど育った環境の影響は大きく、家族だけでなく学校、地域社会全体から手を差し伸べることが必要だと思います。

昨日までのみなさんの投稿を読んで

みんな自分のことを認めてほしい

みなさんコメントありがとうございます。不登校経験者の方々からも、賛成、反対、両方の意見をいただきました。

ありるさんのように、「自分で克服したから、いま堂々としていられる」という意見も、困難を克服する力を身に付けるためには非常に大切なことだと思います。また、しろりむさんがおっしゃるように、「義務教育課程において、子どもたちは学校へ行く以外の生き方を選択できない。大人社会よりも厳しいのでは」といった意見や、「家庭環境を含めた環境に問題があるのではないか」といったご意見もいただきました。

本来義務教育とは、「本人が学校へ行かなければならない」という意味ではなく、「学校に行きたい生徒を学校へ通わせなければならない」という保護者への義務です。ほとんどの学校のほとんどのクラスに不登校生が存在する現在の状況では、学校へ行くしか選択の余地のない生徒たちに対して、せめて行きたい学校を選ぶという選択肢があってもよいのではないでしょうか。校舎がきれいとか、近くにあるとかではなく、いろいろな受け止め方、考え方があると思います。

軍隊のように規律の中で厳しさ、困難を克服することを教え育てる、という考え方もあれば、自由な伸び伸びした環境で、自らの気づきを尊重する、という考え方もあります。これらは両極ではありますが、どちらが正解でどちらがだめということではないと思います。規律に耐えられなくなり精神的な障害を受けてしまう人もいますし、自由教育で怠惰になってしまう人もいるでしょう。このような極端な例でないにしても、個人によって向き不向きがあるのですから、さまざまな特徴を持った学校を選択できる環境が必要な時期に来ているのではないでしょうか。

代々木高等学院では、毎年、普通の高校へ入学した後に転校してくる生徒がたくさんいます。理由はさまざまですが、多くの子どもたちが口にするのが、「どうせオレは、私は……」という言葉です。Kiitosさんのコメントで「存在を認めて欲しかった」とありましたが、みんな自分をしっかり受け止めて、認めて欲しいんです。劣等感を引きずって大人になってもしょうがないと思います。しっかり受け止め認めてあげることで、彼ら、彼女らは自分を見つめ直すことができ、自信を持って「堂々と」次のことにチャレンジすることができるようになっています。

誰だって、自分のことは認めてもらいたいですよね。

一色真司

一色真司

代々木学園代表

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